平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

おんな城主直虎 第8回~なぜ共に悲しんでやらぬのだ? なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?

2017年02月27日 | 大河ドラマ・時代劇
「悪いのは私ですか!?
 私は誰を恨めばいいのですか!?」

 しの(貫地谷しほり)は誰かに怒りをぶつけたかったのだろう。
 子供が出来ないことで自分を責めていたら、自身の心が崩壊してしまう。
 そんなしのに対して、次郎法師(柴咲コウ)はどう対応したか?

「そこまで言うのなら、ご自害なされよ。
 正室が亡くなり、誰もふさわしい者がおらぬとなれば、さすがに私の還俗も認めていただけるであろう」

 次郎はわざと恨みを買った。
 気持ちをぶつける対象になることで、しのを救おうとした。
 結果、しのは叫んで、
「私は必ず子を産んでみせまする!
 そなたを決して還俗などさせませぬ!」
 これで、しのは死を選ばず、生きる決意をした。
 次郎は自分が悪者になることで、しのを救ったのだ。

 本当は、しのの気持ちをぶつける相手は夫の直親(三浦春馬)であるべきなんですよね。
 しかし、直親は合理的で冷たく、他人の気持ちに疎い所がある。
 だから、次郎は言ってしまう。

「あれはそなたの女房であろう。
 なぜ、いつも左様に他人事なのじゃ?
 なぜ、もっと共に悲しんでやらぬのだ? 悩んでやらぬのだ?
 なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?」

 最後の〝なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?〟には、ちょっとグッと来たなぁ。
 次郎は、しのを「愚か」「情けない」「怖ろしい女子」と言いながら、その心の奥底にある<孤独>を理解していたのだ。
 次郎には、人間の本質を見抜く力がある。
 まだまだ感情的になってしまうこともあるが、心がしっかりできている。
 だてに南渓和尚(小林薫)の下で何十年も修行してきたわけじゃない。

 今回は主人公・次郎法師を描いた回でしたね。
 しのと対比させることで、主人公を魅力的に描いた。
 直親の共感力のなさを責めることで、主人公の大きな心を描いた。
 …………………

 最後は仏教講座。
 <本来、無一物>
 人間は何も持たずに生まれてきて死ぬのだから、物やお金や地位に固執する必要はない、という考え方。
 作品では、次郎が鼓を売ろうとするシーンで使われた。
 まあ、物やお金に固執してしまうのが人間なんですけどね。
 これをクリアしてしまったら、仏様になってしまう。
 仏教って宗教というより、人間の生と死を追及した思想哲学なんだよなぁ。

コメント (2)
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