『セクシー田中さん』の原作者・芦原妃名子先生が映像化の問題で命を自ら断たれたことに関し、ドラマの脚本を手掛けた相沢友子さんが次のようなコメントを発表した。
ネットでは相沢さんの不用意なインスタグラムでの投稿が芦原妃名子先生の死の一因になったのではないかと言われている。
「このたびは芦原妃名子先生の訃報を聞き、大きな衝撃を受け、未だ深い悲しみに暮れています。心よりお悔やみ申し上げます。
芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。
いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました。
そして今もなお混乱の中にいます。
SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています。
もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。
あまりにも悲しいです。
事実が分からない中、今私が言えるのはこれだけですが、今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います。
今回もこの場への投稿となることを、どうかご容赦ください。
お悔やみの言葉が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
芦原妃名子先生のご冥福をお祈りいたします。
2024年2月8日相沢友子
これを最後に、このアカウントは削除させていただきます」
このコメントをどう解釈すべきだろう?
額面どおりに捉えれば、
脚本・相沢友子さんは芦原妃名子先生の不満・憤り・悲嘆を把握していなかったことになる。
相沢友子さんの視点に立てば、
・自分の脚本を修正されて面白くなかったことだろう。
プライドを持って仕事をしていればこう思うのは当然だ。
・9話・10話を原作者が書くことになって理不尽を感じていたことだろう。
それらが積もり積もって、あのインスタグラムの投稿に繋がった。
ただ、それは軽率で大人げなかった。
そのことは相沢さんも認めていて、今回のコメントで、
『SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています』
と書いている。
僕の立場は、以前書いたとおり、
今回の件は『脚本家と原作者の間に入った日テレと小学館の責任だ』と考えている。
本来、コミックと映像は違うものである。
コミックは漫画家と編集者の間で完結するが、
ドラマは役者・監督・現場・スポンサーなどさまざまな思惑が絡み合って製作されている。
「恋愛要素を入れて」と言われれば入れなくてはならないし、
長い台詞のやりとりを続けていたら、たちまちチャンネルを変えられてしまう。
芦原先生がこだわった「避妊ピル」のテーマもドラマの流れを停めてしまうので、製作側は敬遠したかった所だろう。
文体も違う。
コミックが1ページで説明する内容を映像は何分もかけて描かねばならないこともある。
映像化はコミックのコマとコマの間の余白を埋めて形にする作業だ。
だから日テレと小学館は
『コミックと映像は違うもので、必ずしも原作どおりにならないこと』を原作者に伝えるべきだった。
原作者を裏切るような安易な契約を結ぶべきではなかった。
さて、脚本の相沢さんは自らの見解を語った。
小学館の編集部は「原作者の意向を伝えていた」とコメントを出した。
となると、残るは日テレである。
日テレは脚本家に原作者の意向をどう伝えていたのか?
原作者の修正稿が来た時、脚本家にどう説明していたのか?
ネットでは相沢さんの不用意なインスタグラムでの投稿が芦原妃名子先生の死の一因になったのではないかと言われている。
「このたびは芦原妃名子先生の訃報を聞き、大きな衝撃を受け、未だ深い悲しみに暮れています。心よりお悔やみ申し上げます。
芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。
いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました。
そして今もなお混乱の中にいます。
SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています。
もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。
あまりにも悲しいです。
事実が分からない中、今私が言えるのはこれだけですが、今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います。
今回もこの場への投稿となることを、どうかご容赦ください。
お悔やみの言葉が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
芦原妃名子先生のご冥福をお祈りいたします。
2024年2月8日相沢友子
これを最後に、このアカウントは削除させていただきます」
このコメントをどう解釈すべきだろう?
額面どおりに捉えれば、
脚本・相沢友子さんは芦原妃名子先生の不満・憤り・悲嘆を把握していなかったことになる。
相沢友子さんの視点に立てば、
・自分の脚本を修正されて面白くなかったことだろう。
プライドを持って仕事をしていればこう思うのは当然だ。
・9話・10話を原作者が書くことになって理不尽を感じていたことだろう。
それらが積もり積もって、あのインスタグラムの投稿に繋がった。
ただ、それは軽率で大人げなかった。
そのことは相沢さんも認めていて、今回のコメントで、
『SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています』
と書いている。
僕の立場は、以前書いたとおり、
今回の件は『脚本家と原作者の間に入った日テレと小学館の責任だ』と考えている。
本来、コミックと映像は違うものである。
コミックは漫画家と編集者の間で完結するが、
ドラマは役者・監督・現場・スポンサーなどさまざまな思惑が絡み合って製作されている。
「恋愛要素を入れて」と言われれば入れなくてはならないし、
長い台詞のやりとりを続けていたら、たちまちチャンネルを変えられてしまう。
芦原先生がこだわった「避妊ピル」のテーマもドラマの流れを停めてしまうので、製作側は敬遠したかった所だろう。
文体も違う。
コミックが1ページで説明する内容を映像は何分もかけて描かねばならないこともある。
映像化はコミックのコマとコマの間の余白を埋めて形にする作業だ。
だから日テレと小学館は
『コミックと映像は違うもので、必ずしも原作どおりにならないこと』を原作者に伝えるべきだった。
原作者を裏切るような安易な契約を結ぶべきではなかった。
さて、脚本の相沢さんは自らの見解を語った。
小学館の編集部は「原作者の意向を伝えていた」とコメントを出した。
となると、残るは日テレである。
日テレは脚本家に原作者の意向をどう伝えていたのか?
原作者の修正稿が来た時、脚本家にどう説明していたのか?