平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「吾輩は猫である」を読む②~人間は食べて、クソして、しゃべって、笑って、泣いて、寝るだけなのだ!

2020年07月15日 | 小説
 苦沙弥、迷亭、水島寒月、越智東風──
『吾輩は猫である』に登場する人物たちは「太平の逸民」である。

「逸民」
 辞書を引くと、
①俗世間をのがれて、隠れ住んでいる人
②官に仕えず、気楽な生活を楽しむ人

 彼らはインテリでもあり、苦沙弥先生の家にやって来ると、
 知識をひけらかしたり、どうでもいいバカ話をする。
 こんな彼らを見て、「吾輩」である猫はこんなことを思う。

 人間というものは時間を潰す為に強いて、口を連動させて、可笑しくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりする外(ほか)に能もないものだと思った。(新潮文庫版P81)

 確かに苦沙弥先生たちの会話は非生産的で何も生み出さない。
 どうでもいいバカ話をして時間を潰している(笑)

 これが漱石の人間観なんですね。

 人間は、食べて、寝て、しゃべって、笑って、泣いて、虚しく死んでいく。
 ただ、それだけ。

 猫はこんなことも言っている。

 人間の定義と云うと外に何もない。只いらざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで十分だ。(新潮文庫版P407)

 達観した人間観だなあ。
 出世、恋愛、勉強、名誉──人間のほとんどの行為はいらざる事。
 やらなくてもいい苦労を勝手に背負い込んで苦労している。
 自分が背負っているものやこだわりをひとつひとつ検証していけば、捨てていいことがいっぱいあるはず。

 一方、猫は単純明快だ。
「食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く」
「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、行屎送尿(こうしそうにょう)」
「椽側(えんがわ)で寝ているまでの事さ」
(新潮文庫版P33)

『行屎送尿』という言葉は初めて知ったが、
 要は「クソして小便する」
 転じて「当たり前の生活」「自然のありのままの生活」という意味らしい。

 なるほど~これが漱石の人間観・人生観なのか。

 明治といえば、富国強兵で、御国のために働くことが良しとされた時代。
『猫』が書かれたのは、1905年、日露戦争に勝利した時代だ。作品中にもその描写がある。
 そんな中、こんな価値観の作品が書かれたのは素晴らしい。

 人間はただ食べて、クソして、しゃべって、笑って、泣いて、寝るだけ。
 立身出世などいらざる苦労を背負い込むだけのこと。

 こんな価値観の漱石が明治の時代に生きることは窮屈だっただろう。
 胃が痛くなるのも当然だ。


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