平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」第24回「忘れえぬ人」~理想から現実へ。まひろの心の変化を考察してみた!

2024年06月17日 | 大河ドラマ・時代劇
 まひろ(吉高由里子)の心の変化はこんな感じだろうか。

①道長からの解放
 道長(柄本佑)を「忘れえぬ人」としてずっと心に抱えていることは正しいのだろうか。
 道長を想い続けている自分はいつも同じ所に留まっている。
 そろそろ前に進んでもいいかもしれない。苦しむのではなく心から笑いたい。
 だから、いはく、
「道長様と向かい合い過ぎて、求め合い過ぎて苦しうございました。
 愛おし過ぎて嫉妬もしてしまいます。
 されど宣孝様だとおそらくそれはなく楽に暮らせるかも」

②結婚観・人生観の変化
 自分は結婚に幻想を抱き過ぎていたのではないか。
 心から愛する人と結婚することだけが結婚ではない。
 子供も産みたい。
 結婚することで、子供を産むことで見えて来る別の人生があるかもしれない。
 さわ(野村麻純)が亡くなったように人生は案外はかなく短いのだ。
 だから、いはく、
「妻になることはたいしたことではない気がしてまいりました。子供も産みたい」

③周明の裏切り
 周明(松下洸平)とのことは、まひろを現実主義に走らせた。
 まひろの中には「理想の国・宋に行って周明と暮らす」という思いがあったかもしれない。
 しかし、周明は自分を利用しようとしたし、
「民に等しく機会を与える国などこの世のどこにもない。つまらぬ夢など持つな」と言った。
 幻想が一気に崩れた瞬間だ。
 もっともまひろは聡明なので、「あの人も精一杯なのだわ」と周明に理解を示してしていたが。

・道長との恋の思い出
・理想の結婚
・理想の美しい社会
 まひろはこんな幻想にとらわれていた。
 宣孝(佐々木蔵之介)が言った「他人が見ているまひろ」とは「幻想にとらわれた女性」と
 いうことなのだろう。
 為時(岸谷五朗)の仕事も順調そうだし、まひろは自分の一歩を踏み出そうと決意した。
 それに宣孝は「ありのままのお前を丸ごと引き受ける」と言ってくれた。

 さて、まひろは次回からどう変わるのか?
「少女漫画」から「キャリアウーマンの物語」へという感じか?
 …………………………………………………

 今回、変わった人は他にもいた。

 一条天皇(塩野瑛久)は父親になって、
「朕が生まれた時の母上の気持ちがわかりました」と和解。

 詮子(吉田羊)は一条天皇に「母が追い詰めていた」と謝罪。
 描き込みは浅かったが、詮子は「母親」として目覚めたのだろう。
 帝であることよりも、息子の幸せを願うひとりの母親へ。

 今回のことで一条天皇と詮子は「母と子」に戻った。

 道長は自分の人間理解の浅さを痛感。
 長徳の変で斉信(金田哲)にしてやられたことを認識して
「斉信の方が上手であった」
 まひろも一番身近にいた乙丸(矢部太郎)の本心がわからなかったように
 人は他人のことが本当にわからないのだ。

 ただ、この時の道長のリアクションは素晴しかった。
「誰をも味方にできる器がなければやっていけんな」
 と自分に反省を持っていった。
 凡庸な権力者なら「騙したな」と怒って斉信を排除する。

 少しずつひと皮剥けていく登場人物たち。

 さて、まひろの結婚を知って道長はどのような反応をするのか?


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2 コメント

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宣孝と周明 (コウジ)
2024-06-18 07:57:05
TEPOさん

いつもありがとうございます。

なるほど。
今回は宣孝と周明の比較の話でもあったわけですね。
道長を含めてまひろを受け入れると言った宣孝。
まひろの道長に対する気持ちなどを無視し、しかも利用しようとした周明。
まあ、周明のまひろに対する思いはそれだけではなかったわけですが、非常に不器用。

いっしょに宋語を学んだ周明と生牡蠣を食べた宣孝はまひろにとって同等だったし、むしろ周明の方が勝っていたのですが、周明は現実的な目的の方を優先しすぎました。

いずれにしても、まひろにとって「夢見る時間」が終わった感じ。

>「まひろのの心の変化(現実への覚醒)」は、おそらく「光る君」を対象化して捉える視点につながってゆくことでしょう。
なるほど。気づきませんでした。
道長への思いは物語の中で結晶するんですね。
返信する
「おじさん」圧勝! (TEPO)
2024-06-18 01:00:31
今回私はリアタイでは少し遅刻して、タイトルバックからの視聴でした。
私が見たのは、周明がまひろに道長への手紙を書かせようとベタに迫って玉砕してゆく一方で、まひろが現実に醒めてゆくプロセス。
抱きしめられて周明の本心を見抜くまひろの鋭さに「流石」と思ったり。
また、破れかぶれの周明に陶片を突きつけられ、「お前を殺して自分も死ぬ」と脅されても動じることのないまひろの肝の太さを見て、目の前で母や直秀を惨殺されたとする設定はここに活きてきたのか、と感心したり。

しかし、リアタイ視聴後に家内から宣孝との重要なやりとりは冒頭にあったと教えられ、録画を見て刮目!
私は今回で一番重要な場面を見ていなかったことを知り、タイトルバック前の密度の濃い「1分55秒」を何度も繰り返し視聴しました。
この「1分55秒」については、台詞の一言一言について詳細にコメントしたいくらいですが、ここでは割愛しましょう。

ただ、今回のすべては「ここで勝負あった」と感じました。
一つだけ宣孝の台詞を引用
「あの宋人と海を渡ってみたとて、忘れえぬ人からは逃げられまい」
宣孝は「忘れえぬ人がいる」ことも「まひろの一部」だとして丸ごと受け入れるという。
他方、周明はまひろの心の中の「忘れえぬ人」(=左大臣道長)にまったく歯が立ちませんでした。
「書いたとて、左大臣様は私の文ごときでお考えを変える方ではありません」

「おじさん」宣孝の若い(=「青い」)周明に対する圧勝は、自身「おじ(い?)さん」年齢である私にとっては快哉ものです。
もっとも、事後の朱仁聡との会話の中で、周明のまひろに対する慕情には真実の面もあったことが示唆され、また朱仁聡は結構優しい上司で、周明が「非業の死」を遂げることは無さそうなことは救いでした。

今回コウジさんが分析された「まひろのの心の変化(現実への覚醒)」は、おそらく「光る君」を対象化して捉える視点につながってゆくことでしょう。
おそらく、「光る君」道長は光源氏のモデルなのでしょうから、この立脚点の確立は重要かと思われます。
この足場を提供してくれるのが、一見「変哲も無い俗物のおじさん」宣孝だったわけです。
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