昨日、こちらは大雪でした。
なので、この詩を──
作品はⅠとⅡの2部構成になっています。
生い立ちの歌
中原中也
Ⅰ
幼年時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました
少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差し伸べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ちょうせい)したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました
※黝(くろ)む~黒ずむ
※なよびか~ものやわらか
………………………………………
Ⅰ
年齢を経るに従って、雪に対するとらえ方が違って来るのが面白いですね。
真綿のようにやさしかった雪が、霙になり、霰になり、雹になり、吹雪になり……。
生きることがどんどんつらく、厄介になっていくんですね。
子供の時のように世界と調和しなくなった。
ところが二十四歳になって、これが大きく変わる。
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
これは何だろう?
「しめやか」 穏やかで哀しいこと
人生とたたかうことをやめて諦めの境地に達したのか?
抗うことに疲れ果ててしまったのか?
少なくとも中也の心の中で嵐は吹かなくなった。
生きるとは哀しいことだと知った。
この詩を読んで、僕はクィーンの『ボヘミアン・ラプソディ』を思い出した。
『ボヘミアン・ラプソディ』の主人公も生きることに脅え、不安におののき、時にたたかい、抗い、
ラストで、『たいしたことないさ。ただ風が吹くだけ』という穏やかな境地で終わる。
Ⅱ
あれま、ここでも大きく変わりましたね~。
雪がすごくやさしくなっている。
『いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ちょうせい)したいと祈りました』
とまで書いている。
これの前段の『涙』は嬉し涙だろう。
この時、中也は愛する人に出会ったらしい。
なるほど、だからこういう表現になったのか。
愛する人に出会って、ふたたび世界と調和した。
『生い立ちの歌』は人生のさまざまな様相を表現した美しい詩である。
今、僕の上に降っている雪はどんな雪だろう?
なので、この詩を──
作品はⅠとⅡの2部構成になっています。
生い立ちの歌
中原中也
Ⅰ
幼年時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました
少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差し伸べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ちょうせい)したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました
※黝(くろ)む~黒ずむ
※なよびか~ものやわらか
………………………………………
Ⅰ
年齢を経るに従って、雪に対するとらえ方が違って来るのが面白いですね。
真綿のようにやさしかった雪が、霙になり、霰になり、雹になり、吹雪になり……。
生きることがどんどんつらく、厄介になっていくんですね。
子供の時のように世界と調和しなくなった。
ところが二十四歳になって、これが大きく変わる。
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
これは何だろう?
「しめやか」 穏やかで哀しいこと
人生とたたかうことをやめて諦めの境地に達したのか?
抗うことに疲れ果ててしまったのか?
少なくとも中也の心の中で嵐は吹かなくなった。
生きるとは哀しいことだと知った。
この詩を読んで、僕はクィーンの『ボヘミアン・ラプソディ』を思い出した。
『ボヘミアン・ラプソディ』の主人公も生きることに脅え、不安におののき、時にたたかい、抗い、
ラストで、『たいしたことないさ。ただ風が吹くだけ』という穏やかな境地で終わる。
Ⅱ
あれま、ここでも大きく変わりましたね~。
雪がすごくやさしくなっている。
『いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ちょうせい)したいと祈りました』
とまで書いている。
これの前段の『涙』は嬉し涙だろう。
この時、中也は愛する人に出会ったらしい。
なるほど、だからこういう表現になったのか。
愛する人に出会って、ふたたび世界と調和した。
『生い立ちの歌』は人生のさまざまな様相を表現した美しい詩である。
今、僕の上に降っている雪はどんな雪だろう?
それを受け止める人の感性も様々に変化するんですかね。
因みに、我が田舎は今年一度も雪降らなかったです。これはこれで寂しい事ですが・・・
いつもありがとうございます。
人が見ている世界なんて、その時の心情、状況によって変って来るんですよね。
雪が降ったら、「雪だるまを作れるぞ」と思う人がいれば、「通勤が大変だな」と思う人もいる。
出来れば前者のような心持ちで生きていきたいものです。