今回は薩長同盟の構想に龍馬(福山雅治)が気づく話。
藩や組織にとらわれない龍馬だからこそ生まれた発想ということだろうが、その気づき方は乱暴。
商人たちの麻雀と中国将棋の駒で気づくなんて。
まあ、それはまだいいとして、龍馬の下地にあるものが伝わって来ないのだ。
つまり<倒幕>なのか<鳥かごの中で争っている場合ではない>なのか。
前回までの文脈では、高杉晋作(伊勢谷友介)と西郷(高橋克実)に語った様に<鳥かごの中で争っている場合ではない>だった。国内で争っているのではなく、ひとつにまとまって日本を守るべきというのが龍馬の根幹にあるものだった。それは勝(武田鉄矢)の考えでもある「海軍を抑止力にする」という考えにも通じる。
ところが、今回は<倒幕>。
国内の争いを鎮めるどころか煽っている。
まあ、幕府と長州の緊張が高まり戦争は避けられない情況なのだとしよう。
だとしたら、むしろ争乱の火種である長州をこそ倒すべきではないのか?その方が早く確実に日本がまとまるのではないか?
まあ、おそらく幕府は腐りきっていて、国難にあたれる力がないと龍馬は理解したのであろう。そして長州にその潜在力を見出した。
でも、その結論に至った過程の描写があまりにも少なすぎる。
シーズン2で龍馬の描写をさぼったツケがここに来ている。
シーズン2ではもっと腐敗して国難にあたれない幕府を描くべきだった。勝の失脚や海軍繰練所の廃止など、幕府に幻滅した龍馬を描く素材はいくらでもあったはず。ところがそれらは上っ面でしか描かれていない。
長州の潜在力も、高杉が上海、伊藤らがイギリスに留学していたというだけで納得していいのか?
また、今回の龍馬の描写も情けない。
生活費を稼ぐためにカステイラを作ろうとするなんて。
シーズン3では国造りのために奔走する龍馬を見たいのに、再びその日暮らしの龍馬に戻っている。
我々はそろそろ<広大な構想で日本の仕組みを作り直そうとする龍馬>を見たいのだ。
将棋で言えば、何手も先を読んで行動している様な。
だから今回の高杉との将棋のシーンも高杉に押し切られるのではなく、逆に差し返す描写がほしかった。
大浦慶(余貴美子)ら長崎の商人との麻雀でも、龍馬の才気・凄さを見せてほしかった。
ところが龍馬が慶に言われたことは「大きな手をしている」と「大きな運を持っている」である。
こんなふうに評される様では英雄・龍馬はまだ遠い。
藩や組織にとらわれない龍馬だからこそ生まれた発想ということだろうが、その気づき方は乱暴。
商人たちの麻雀と中国将棋の駒で気づくなんて。
まあ、それはまだいいとして、龍馬の下地にあるものが伝わって来ないのだ。
つまり<倒幕>なのか<鳥かごの中で争っている場合ではない>なのか。
前回までの文脈では、高杉晋作(伊勢谷友介)と西郷(高橋克実)に語った様に<鳥かごの中で争っている場合ではない>だった。国内で争っているのではなく、ひとつにまとまって日本を守るべきというのが龍馬の根幹にあるものだった。それは勝(武田鉄矢)の考えでもある「海軍を抑止力にする」という考えにも通じる。
ところが、今回は<倒幕>。
国内の争いを鎮めるどころか煽っている。
まあ、幕府と長州の緊張が高まり戦争は避けられない情況なのだとしよう。
だとしたら、むしろ争乱の火種である長州をこそ倒すべきではないのか?その方が早く確実に日本がまとまるのではないか?
まあ、おそらく幕府は腐りきっていて、国難にあたれる力がないと龍馬は理解したのであろう。そして長州にその潜在力を見出した。
でも、その結論に至った過程の描写があまりにも少なすぎる。
シーズン2で龍馬の描写をさぼったツケがここに来ている。
シーズン2ではもっと腐敗して国難にあたれない幕府を描くべきだった。勝の失脚や海軍繰練所の廃止など、幕府に幻滅した龍馬を描く素材はいくらでもあったはず。ところがそれらは上っ面でしか描かれていない。
長州の潜在力も、高杉が上海、伊藤らがイギリスに留学していたというだけで納得していいのか?
また、今回の龍馬の描写も情けない。
生活費を稼ぐためにカステイラを作ろうとするなんて。
シーズン3では国造りのために奔走する龍馬を見たいのに、再びその日暮らしの龍馬に戻っている。
我々はそろそろ<広大な構想で日本の仕組みを作り直そうとする龍馬>を見たいのだ。
将棋で言えば、何手も先を読んで行動している様な。
だから今回の高杉との将棋のシーンも高杉に押し切られるのではなく、逆に差し返す描写がほしかった。
大浦慶(余貴美子)ら長崎の商人との麻雀でも、龍馬の才気・凄さを見せてほしかった。
ところが龍馬が慶に言われたことは「大きな手をしている」と「大きな運を持っている」である。
こんなふうに評される様では英雄・龍馬はまだ遠い。
コウジさんのおっしゃる通り、龍馬の描写が行き当たりばったりですね。
展開自体は面白いだけに、描写不足が非常に惜しまれます。
第一部や第二部の前半のような地に足のついた脚本に戻るよう期待しています。
龍馬一行のカステラ作りについて、私は特に気になりませんでした。
むしろ幕末の英雄でも生活費を稼ぐために菓子作りに奮闘しなければならないという妙なリアルさが逆に微笑ましかったです。
話は変わりますが、今回の映像も非常に凝って作られていましたね。
やはり龍馬伝の演出チームは暗揄が得意なようです。
第一部なら、
龍馬が脱藩した後に映った『飛び去るカモメ』、
東洋暗殺のカットバックで『武市により描かれた梅の赤色』。
第二部なら、
武市が失脚した時に舞い散る『桜』など。
そして今回は、
『鳥籠越しの龍馬と高杉』。
龍馬が鳥籠の中の存在かどうかはいささか疑問ですが、なかなか面白い表現でした。
暗揄ではありませんが、カステラ作りの際のスライドのようなカットも新鮮で笑わせていただきました。
゛篤姫゛の『大奥首脳陣による篤姫の髪型会議』に匹敵するような…
スタッフ、楽しんでますね(笑)
長文失礼致しました。
龍馬一党のカステラ作りは史実のようで、コミカルな味を出しています。ただ、問題はそうした「味付け」にまで走る余裕があるのか、ということ。
>シーズン2で龍馬の描写をさぼったツケがここに来ている。
全く同感です。問題は龍馬の「洞察」と「論理」についての描写が欠落していることです。特に「倒幕」の論理については先週私自身もコメントしたとおりです。
>むしろ争乱の火種である長州をこそ倒すべきではないのか?その方が早く確実に日本がまとまるのではないか?
事後の歴史についての知識に囚われず、与えられた状況のみから考えれば当然そうなりますよね。
客観情勢についての描写だけはあるのです。たとえば、先週コウジさんがご指摘の通り、イギリスの日本侵攻作戦についてのグラバーの解説とのモンタージュのために「日本人同士で喧嘩しちゅう場合かえ」という龍馬の台詞は辛うじて綺麗事ではなく「立って」いました。今回も、長州が滅ぶと幕府の貿易統制が強化され、薩摩はじり貧となる、という客観的事情は描かれていました。
問題は、龍馬自身がそうした情勢を理解した上で、今回で言えば、薩摩藩の利害からものを考える「やり手の部長」西郷を説得できる、という「読み」に立って発言していることをもっと明確に描く必要があることです。
こうした描写がないので、カステラも満足に作れないくせに偉そうなことばかり言う、といった印象を与えてしまうのでしょう。
追記
先週グラバーが解説していたイギリスの日本侵攻作戦を戊辰戦争での新政府軍がほぼそのまま実行しています。戊辰戦争が英仏の代理戦争と言われる所以でしょう。
おそらく龍馬が「倒幕」には荷担しても「討幕」とは袂を分かつのはそのことが理由となるのでしょうが、その辺の論理はしっかりと描いて欲しいものです。
いつもありがとうございます。
よく映像を見ていらっしゃいますね。
『飛び去るカモメ』『舞い散る桜』『鳥籠越しの龍馬と高杉』、僕はまったく気づきませんでした。
龍馬たちの服装といい、画面作りが丁寧ですよね。
映像の監督には、<物語派>と<映像派>がいるそうですが、「龍馬伝」の場合、<映像派>の監督さんが多いのでしょうか。
また、その点、物語(脚本)の方が荒っぽいのが気になりますね。
一年の長丁場で筆に多少のムラが出るのは仕方ないと思うのですが、もしかして切羽詰まってお弟子さんが書いていらっしゃって福田さんは手直ししているだけとか、そんな勘ぐりも出て来てしまいます。
あるいは福田さんは緊張したドラマの中で、ふっと気が抜けるギャグパートの上手い方ですが、それが大きく出過ぎている気もしますね。
ともかく龍馬が主人公ですから統一感をもって深く描き込んでほしいですね。
いつもありがとうございます。
今回はほとんど先週TEPOさんが書いていただいた内容を踏襲しています。
龍馬の今までの理想と<倒幕>→<戦争>という論理がうまく繋がらない。
武市の死で「日本を洗濯する」と言った時点で、倒幕を決意したのだと思いましたが、それだけだとどうも弱い。
龍馬の考え方をより具体的な所で見せてほしいですよね。
たとえば今回のカステラですが、長次郎ら龍馬の仲間達はカステラ作りで盛り上がっていていいのですが、龍馬だけは仲間に加わらず国のことを考えていてほしい。
西郷、高杉、お慶に対する時も負けずに対等に応対してほしい。
そうしないと
>カステラも満足に作れないくせに偉そうなことばかり言う。
ととられても仕方がない。
そんな気がします。
最後に「倒幕」と「討幕」、上手い言葉の使い分けですね。
「倒幕」なら政権移譲=大政奉還でいいわけですが、「討幕」だと戊辰戦争になってしまう。
龍馬は今「幕府を倒す」と言っていますが、「倒幕」と「討幕」の違いを考えると、もう少し別のニュアンスのせりふであってもいいかもしれませんね。
龍馬はまだその違いに気づいていないのかもしれませんが、龍馬のひとつひとつのせりふ、行動を丁寧に描いてほしいと最近感じています。
コウジさんが上記でおっしゃっている部分ですが、これは脚本家の福田靖氏が山口出身だから、当然、高杉などのいる“長州びいき”なはずで、話を強引にもってきているようです。これはある意味、仕方のないことですね。
今のところ、このドラマでは龍馬と長州のみが「先見の明」を持つという基本構成になっていますので、歴史をある程度知っている方々から見ると、いろいろと違和感を抱いてしまうという原因になっているようです。
薩摩の西郷だって、幕臣の勝海舟でさえ、江戸幕府の時代はもう終わりつつあると、この当時には、当然わかっていたと思いますよ。
コメントありがとうございます。
<先見の明>……この作品や幕末ものでは大事なキイワードですよね。
幕末の人物たちがどんな国家ビジョンを持っていたか、それが人物を語る重要な要素になっていると思います。
まあ、創作は自由ですから福田さんがどんな人物観、歴史観を持っていてもかまわないのですが(僕も他の小説などからの理解ですが、西郷や勝は幕府の時代は終わりと考えていたと思います)、龍馬はしっかりした先見の明を持った人物として描かれてほしいですね。そろそろ。
視点さんはこの作品の龍馬を<先見の明>を持った人物として受け入れることが出来た様ですが、僕はどうもダメで。
明確なビジョン、戦略・戦術がある様には見えず、未だにフラフラしている感じで。
カステラを描いている時間があれば、もっと龍馬を描き込んでほしいというのが現在感じている所です。