丈太郎(生田斗真)とかほり(真木よう子)が選んだ道。
オトナの視点で見ると、どうかなぁ?って思ってしまうんですよね。
丈太郎は地域おこし協力隊を辞めなくてもいいのではないか? 収入はなくなるわけだし、田んぼをやることは認められてるわけだし。
かほりは要請を断らず、教授を逆に利用するくらいのしたたかさで、やりたい癌治療の研究をやった方がよかったのではないか?
彼らは潔癖で純粋すぎる。
カッコよすぎる。
でも、これが若さなんですね。
灰色のあいまいな状態はイヤで、白黒をはっきりつけずにはいられない。
自分はまっすぐでまっ白でいたいと思う。
ぼくなどは人生の残り時間が少ないので、かほりのようなまわり道をやってる暇はないのですが、若い彼らには十分な時間がありますからね。
このことを、作品はナレーションで以下のように語る。
きれいになんて咲かなくていい。
もがくばかりで咲けない日があっていい。
今いる場所で、できることをやってみよう。
いつか、自分らしく咲ける日が来ることを信じて
最終回を迎えても、丈太郎たちは決して『きれいに咲いていない』。
おそらくこれからも『もがくばかりで咲けない日』が続くだろう。
でも彼らはそれを良しとしている。
そして未来を信じてこう誓う。
『今いる場所で、できることをやってみよう。いつか、自分らしく咲ける日が来ることを信じて』
いささかきれいごと過ぎる感じもするが、これが青春であり若さである。
今回、しばしば使われた『夢』とかもけっこう恥ずかしい言葉なんだけど、彼らはそれを真面目に使う。
「ここで米作って四万十の人たちに食べてもらいたい。日本中の人に食べてもらいたいし、いつか世界中の人に食べてもらいたい。それがここで見つけた俺の夢なんだ」
「たとえ何年かかっても、私は自分で道を開いて、いつか必ずアメリカで研究する夢をかなえます。夢は私のものですから」
これらのせりふを今の若い人はどのように受けとめたのか、知りたい気がする。
そうだよね! なのか? ダサ~い! なのか?
というわけで、青春バリバリの最終回に、ぼくのようなおじさんは少し戸惑う。
そんなこと言ってももっと現実的な道を歩んだ方がいいんじゃない? とアドバイスしたくなる。
それと同時に、哀しいけれど、ぼくの中で<青春>が失われてしまったことも感じる。
※追記
青春バリバリの丈太郎たち。
では、中年のおじさん、おばさんたちは生きることをどう考えているんだろうと思い、『最後から二番目の恋』の最終回のメッセージを思い出してみる。
「人生の終わりは誰とも分かちあえない。だから楽しい時には思いっきり笑いたい。悲しい時にも思いっきり泣きたい。どちらも大切な時間だから」
「月並みな言葉だけど、前を向こう。ちゃんと生きてることが一番大事なんだ」
「人生って自分の未来に恋することなのかもしれない。自分の未来に恋していれば、きっと楽しく生きていける」
丈太郎たちよりは、ずいぶん肩の力が抜けていますね。
<夢>とか<厳しい困難な道>というよりは、<楽しく生きること>をメインにしている。
こちらの方が、ぼくにはしっくり来ます。
オトナの視点で見ると、どうかなぁ?って思ってしまうんですよね。
丈太郎は地域おこし協力隊を辞めなくてもいいのではないか? 収入はなくなるわけだし、田んぼをやることは認められてるわけだし。
かほりは要請を断らず、教授を逆に利用するくらいのしたたかさで、やりたい癌治療の研究をやった方がよかったのではないか?
彼らは潔癖で純粋すぎる。
カッコよすぎる。
でも、これが若さなんですね。
灰色のあいまいな状態はイヤで、白黒をはっきりつけずにはいられない。
自分はまっすぐでまっ白でいたいと思う。
ぼくなどは人生の残り時間が少ないので、かほりのようなまわり道をやってる暇はないのですが、若い彼らには十分な時間がありますからね。
このことを、作品はナレーションで以下のように語る。
きれいになんて咲かなくていい。
もがくばかりで咲けない日があっていい。
今いる場所で、できることをやってみよう。
いつか、自分らしく咲ける日が来ることを信じて
最終回を迎えても、丈太郎たちは決して『きれいに咲いていない』。
おそらくこれからも『もがくばかりで咲けない日』が続くだろう。
でも彼らはそれを良しとしている。
そして未来を信じてこう誓う。
『今いる場所で、できることをやってみよう。いつか、自分らしく咲ける日が来ることを信じて』
いささかきれいごと過ぎる感じもするが、これが青春であり若さである。
今回、しばしば使われた『夢』とかもけっこう恥ずかしい言葉なんだけど、彼らはそれを真面目に使う。
「ここで米作って四万十の人たちに食べてもらいたい。日本中の人に食べてもらいたいし、いつか世界中の人に食べてもらいたい。それがここで見つけた俺の夢なんだ」
「たとえ何年かかっても、私は自分で道を開いて、いつか必ずアメリカで研究する夢をかなえます。夢は私のものですから」
これらのせりふを今の若い人はどのように受けとめたのか、知りたい気がする。
そうだよね! なのか? ダサ~い! なのか?
というわけで、青春バリバリの最終回に、ぼくのようなおじさんは少し戸惑う。
そんなこと言ってももっと現実的な道を歩んだ方がいいんじゃない? とアドバイスしたくなる。
それと同時に、哀しいけれど、ぼくの中で<青春>が失われてしまったことも感じる。
※追記
青春バリバリの丈太郎たち。
では、中年のおじさん、おばさんたちは生きることをどう考えているんだろうと思い、『最後から二番目の恋』の最終回のメッセージを思い出してみる。
「人生の終わりは誰とも分かちあえない。だから楽しい時には思いっきり笑いたい。悲しい時にも思いっきり泣きたい。どちらも大切な時間だから」
「月並みな言葉だけど、前を向こう。ちゃんと生きてることが一番大事なんだ」
「人生って自分の未来に恋することなのかもしれない。自分の未来に恋していれば、きっと楽しく生きていける」
丈太郎たちよりは、ずいぶん肩の力が抜けていますね。
<夢>とか<厳しい困難な道>というよりは、<楽しく生きること>をメインにしている。
こちらの方が、ぼくにはしっくり来ます。
>そんなこと言ってももっと現実的な道を歩んだ方がいいんじゃない? とアドバイスしたくなる。
そう、そう 、そうなんですよね。
丈太郎は当座の生活費のためにも
地域おこし協力隊を辞めるのは思慮が浅いです。
地元民になる意思表明は3年後に置いといて良いと思います。
特に かほりには言いたい。
イケ好かない教授のもとを去ったら
いまだに 『閉鎖的な徒弟制度が幅を効かせている世界』 で
どうやって生きて行くつもり?
売りこんで どうなるもんでもないですからね。
質素な部屋で暮らし始めていましたが
私は 大真面目に心配ですよ。
28才(推薦だから現役合格ね)と言えば
研修が終わって2~3年めでしょう。
まだ実績も無いに等しい・・・どうにもなりませんよ。
しかも
アメリカでの研究が叶ったとして
四万十に定住する丈太郎との関係は どうなるわけ?
お互いを好き合っているのが分ればOKなんですか。
結構 楽しみにいたドラマですが
着地が曖昧過ぎて
オバサンには理解できない心持ちでした。
東京タワーのツーショットは
乙女チックな感動場面でしょうが
ドラマだなぁ~(笑)と思いました。
昨夜 「いいかも?」 という感想を抱いたのは
しより(国仲涼子さん)の決意宣言です。
ガツンと言ってやれば
分ってくれる亭主で良かったですね。
あ、 それから
私も 『楽しく生きる』 に大賛成です。
いずれにしても
残り少ないのは 間違い無いですもんね。
いつもありがとうございます。
やはり同じことを思われましたか。
まあ、本文にも書きましたけど、丈太郎やかほりの選択が<青春>なんだと思いけどね。
だから今の若い人が、ふたりの出した結論をどうとらえたかが、すごく気になります。
>東京タワーのツーショットは
乙女チックな感動場面でしょうが
ドラマだなぁ~(笑)と思いました。
同感です。
ここで作品のトーンが急に月9になってしまいましたよね。
若者の自分探しの物語が、ラストは恋愛物語になってしまった。
脚本・橋部敦子さんの筆がブレてしまったような気がします。
もったいないですよね。
『最後から』の千明の言葉。
「楽しく」は、<現在を大切に噛みしめて生きる>と言い換えることも出来ると思いますが、日々心懸けていきたいスタイルです。