平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「わたしが一番きれいだったころ」 茨木のり子~戦争で失われた青春。だからこそ生きて人生をとことん味わってみせる!

2021年08月06日 | 
 本日は「原爆の日」
 なので、茨木のり子さんの戦争の時代をテーマにしたこんな詩を。


 わたしが一番きれいだったとき
                 茨木のり子

 わたしが一番きれいだったとき
 街々はがらがらと崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 わたしが一番きれいだったとき
 まわりの人達が沢山死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 わたしが一番きれいだったとき
 誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの頭はからっぽで
 わたしの心はかたくなで
 手足ばかりが栗色に光った

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 だから決めた できれば長生きすることに
 年とってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように ね

 …………………………………………

 解説するまでもありませんが、ラストの3行がすごいんですよね。
 戦争で失われた青春時代(わたしが一番きれいだったとき)。
 作家はこれを嘆いている。
 でも嘆いてばかりはいられない。
 自分はこれから長生きする。
 長生きして、自分の人生をとことん味わってみせる!
 そんな決意表明。

 さて各論。

『とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした』
 何という映像的な表現。
 瓦礫と青空。
 茨木さんは青空を見て何を思ったのか?

『男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった』
 青春が失われたのは、茨木さんだけではなかったんですね。
 挙手の礼をして戦場に向かった青年たちもそうだった。
『きれいな眼差』という言葉が泣ける。

『ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた』
 カッコいい!
 たくましい!
 すごい表現だ。
『ブラウス』『のし歩いた』という言葉を使ったから、この迫力が出て来た。
『卑屈な町』という言葉も作家のバイタリティにあふれた意思と対照的で秀逸。

『禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった』
 ともかく言葉の選び方がすごい。
『くらくらしながら』『むさぼった』
 まさに青春の復権、生きることの復権だ。
 作家は戦争の時代の『からっぽな頭』や『かたくなな心』から脱したのだ。
『甘い音楽』っていうのも、アンチ戦争の時代。

 僕は茨木のり子さんを氷室冴子さんのエッセイで知った。
 漠然と思うんだけど、氷室冴子さんの感じ方、文体って、茨木のり子さんに似ている。
 透明感があって、感受性のかたまりで、それでいて前向きで。
 森絵都さんにも同じものを感じる。

 コロナ禍のパンデミックの中、生きのびましょう。
 生きて、人生の美しい絵を描きましょう。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« これはブンガクだ!~コロナ... | トップ | おかえりモネ 第11週・12週~... »

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事