平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

終戦記念日~靖国、特攻、A級戦犯……そして石橋湛山の「小日本主義」

2024年08月15日 | 事件・出来事
 終戦記念日。

 毎回書くが、戦争指導者がもっとはやく終戦を決断していれば、
 沖縄戦も広島・長崎の原爆投下もなかった。
 戦争指導者が守ろうとしたのは「国体」か? それとも「自分の命」か?
 国体でいえば、「大日本帝国」はなくなったが「日本国」ができた。

 靖国神社には今年もコスプレ旧日本軍人が集まるのかな?
 英霊に敬意と感謝を捧げるのなら黒い服だと思うけど。
 腹の出たコスプレ軍人をあざ笑おう。
 靖国神社はA級戦犯を合祀したらだめだろう。
 彼らの無謀と過信と無能で命を落とした兵隊はたくさんいる。
 彼らは安全な所で戦争を語っていた。

 特攻。
 卓球・早田ひな選手の発言で話題になっているが、Xでこんな投稿を目にした。
「特攻隊員が特攻にいったおかげで今の日本がある。ありがとう」ではなくて
「二度とあなたたちのような悲劇・悲惨を繰り返さないために努力します」が正しい。

 そのとおりだと思う。
 卓球・早田選手は「特攻平和館」に行って何を思う?
 ……………………………………………………

 昨年も書いたが、日中戦争中に『小日本主義』という政治主張があった。
 政治家・石橋湛山が唱えた主張だ。

『小日本主義』要約すると──
・日本が植民地にしている朝鮮、台湾、満州などを棄てろ。
・そうすればアジアなどの国々は日本を支持し、尊敬する。
・欧米も居心地が悪くなり、最終的に自分の植民地を手放す。

 なかなかの卓見である。
 とはいえ人は持っているものを簡単に棄てられない。
 台湾、満州、樺太は先人が血を流し、命を捨てて得たものだから尚更だ。
 欧米諸国が植民地を持っているのに、どうして自分たちだけが放棄しなくてはならないのか、
 とも考えるだろう。
 だが、湛山は具体的な数字をあげて『小日本主義』を説く。

 それらを棄てていかに日本を守るかという事であるが、経済・貿易の観点から見て、
 朝鮮・台湾・関東州、この三地合わせて九億円の商売をしたに過ぎない。
 これに対し、米英その他の国との貿易は二十四億円を超える。
 朝鮮・台湾・樺太を領有し、関東州を租借し、志那・シベリアに干渉する事が我が経済的自立に欠くべかざる要件などという説が全く取るに足らざるは明白である。


 「植民地経営」より「貿易」
 この方がよりはるかに経済的に豊かになる、ということだ。
 植民地経営にはコストもかかるし、他国との紛争も起こるし、実は効率的でない。
 そして戦後、現実は石橋湛山の言ったとおりになった。
 戦後、日本はさまざまな国と貿易をして経済大国になった。
 経済一本に専心した結果、高度経済成長を成し遂げることができた。

 昨日、岸田首相が総裁選不出馬=総理退任を発表したが、
 岸田首相の戦後日本の破壊は凄まじい。
・防衛費倍増。12兆円。
・リスクの多い敵基地攻撃能力の容認
・武器輸出
・アメリカと共にある発言

 安倍晋三氏は集団的自衛権を実質、可能にしたが、
 アメリカといっしょに戦争をする準備は着々と進んでいる。

 これで憲法9条が改定されればチェックメイト。
 すべてはアメリカ様のシナリオどおり?
 果たしてこれでいいのだろうか?

 終戦記念日。
 改めて現在の日本が向かっている方向について考えたい。


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7 コメント

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早田選手まさか右翼? (半沢)
2024-08-15 18:58:10
コウジさん今晩は
記事の作成お疲れ様です

早田選手は何故其処に行こうと思ったのか?
真意を知りたいですね
まさか、其のおかげで日本があるとなら残念ですけど
そしてA級戦犯が合祀されている靖国と言う施設、悍ましい。 右翼が
うようよいそうです。気持ちが悪い
岸田文雄は安倍晋三同様 碌な首相ではなかった
其の後も 何もない
返信する
信念で語っている人 (コウジ)
2024-08-16 09:02:08
半沢さん

早田選手の発言は「特攻記念館に行って、こうして卓球ができていること、生きていることのありがたさを感じたい」といった内容でした。
おそらく素朴な思いからおっしゃったのでしょうが、行くなら千鳥ヶ淵や広島の原爆記念館に行くという選択肢もあったわけで、その真意は何なんでしょうね。

右翼に関しては、一水会のような対米独立、庶民の側に立つ本当の右翼は僕は好きです。
嫌いなのは、嫌韓・嫌中・嫌朝日新聞、アメリカ大好き、安倍さん万歳のインチキ右翼です。

岸田首相に関しては「自分の信念も深い考えもなく、まわりに言われるがままに大事なことを変えていった首相」という評価です。
次は小泉進次郎氏でしょうか。
また「軽い神輿」になりそうですね。
石破茂氏に関しては僕とは180度考え方が違いますが、信念がある分、僕は好きです。

一水会、石破茂氏など、信念で語っている人の言葉には耳を傾けたいと考えています。
返信する
気候風土に依存するやまとごころ (2020-08-15 21:49)
2024-08-16 09:55:35
おっしゃるとおり、日本にふさわしいのは、小日本主義なんですよね。憲法9条とも親和性があります。

「やまとごころ」はあまり論理的ではなく、五感で「感じる」ものなので、気候風土のありように大きく依存します。戦前の日本の植民地や信託統治領といった「日本文化圏ではない日本領」に、神社が建っている風景を、何かの写真で見たことがありますが、やはり相当な違和感があります。満州の大平原や太平洋の南洋諸島に神社の鳥居があっても、どうもサマにならないんですね。
つまり、やまとごころ的なものは、日本の気候風土なしには存在できないわけで、温室の外に持ち出したら枯れてしまう花なんですね。

一方、一神教的な教義はロジックで組み立てられているので、気候風土に依存せず、どこにでも伝播でき定着します。また、帝国主義的な支配体制とも親和性があります。
戦国時代の日本にやってきた宣教師たちは、スペインポルトガルといった当時の帝国主義国家の植民地支配の先兵的な存在だったことが、今ではほぼ定説になっています。信長はそれをまだ理解できなかったわけですが、時間を経るに連れてだんだんと明らかになってきたからこそ、秀吉や家康がキリスト教を禁じたり鎖国をしたりしたわけですね。
ところが「信長は西洋文化の先進性と真価を理解したので受容したが、秀吉も家康も保守的で頑迷だったので、西洋文化を拒否してキリシタンを弾圧し、鎖国という暴挙に走った」とする解釈が、割と最近まで主流だったわけです。
こういった考え方も、日本人が自分たちを「準白人」「名誉白人」であるとする、明治以降の考え方から導かれたものでしょう。

何を言いたいかというと、神道もやまとごころも「内向き」な日本型文化なので、対外的にバンバン外に出て行く帝国主義的な大日本とは、実は相性がよくないわけです。
日本が本当に日本の伝統や文化を大切にするならば、やはり小日本的なやり方が基本だと思います。
にもかかわらず、愛国を自称して、日本の伝統は素晴らしいという人ほど、大日本的で帝国的なものを礼賛するわけで、何とも不思議なことです。
だいたい、外に持ち出したら枯れるようなデリケートな花が、どうして世界に冠たる大日本と言えるのか…
返信する
訂正です (2020-08-15 21:49)
2024-08-16 12:59:42
少し不正確な内容がありました。
当時の満州国は、制度の建前上は日本領ではなくて独立国でしたね。
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敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花 (コウジ)
2024-08-16 14:57:36
2020-08-15 21:49さん

いつもありがとうございます。

毎回引用しますが、司馬遼太郎は戦争体験を踏まえて「日本は東アジアの片隅でポツンとあるくらいがいい」と発言しました。
つまり日本は「世界の中心」になろうとしてはいけないんですよね。

本居宣長は『源氏物語』を読み解いて、やまとごころは「もののあわれ」だと考えました。
「もの(=外界のこと)」に対して「あわれ(=感情)」が生じる。
ここにあるのは「感情」で「論理」ではないんですよね。
まわりで起こる出来事に対して「なぜそうなるんだろう?」「原因は?」と考えるのではなく、「哀しい」とか「うれしい」といった方向に行ってしまう。

次の総理大臣としてふさわしい人物として小泉進次郎氏をあげる人がいますが、その理由は「カッコイイ」から。
そこに政策論はありませんし、アメリカのような討論会で投票行動を決めるもありません。
やはり論理より感情・情緒なんですよね。

やまとごごろを端的に表わす言葉として、本居宣長はこんな和歌を残していますね。
「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」
やまとごころとは朝日で輝く山桜に感動することである。
やはり情緒的ですよね。

こういう日本人ですから、まわりの空気で一気に流されてしまうんでしょうね。
太平洋戦争に突入した時がそうでした。
返信する
老荘とやまとごころと (2020-08-15 21:49)
2024-08-17 20:02:37
>やはり論理より感情・情緒なんですよね。

おもしろいことに、本居宣長は老荘思想も「からごころ」として、どちらかというと否定的に捉えたらしいです。
孔子さまの教えは、後世になって政治的に利用されて変質し、儒教化するわけですが、そういった権力側に都合のいい儒教を否定するのが老荘の「無為自然」で、やまとごころとも相性がよさそうなものなのに、宣長は老荘に対しても否定的なようです。
わたしなどは「賢しらなからごころを排し、やまとごころを大切にすべし」という考え方は、「大道廃有仁義」とそっくりと考えてしまうのですが、そうは考えない宣長さんに、いまでいう「日本スゴい」「日本だけは特別」にも似た国粋的ご都合主義の予兆のようなものを感じてしまいます(個人の感想です)。



話変わって…
税金と社会保障費が上がる一方ですが、今の日本では自然現象のような捉えられ方です。
増税も社会保障費アップも当然ながら人為ですが、台風や地震のような自然現象のように捉えられて「まあ、しょうがない」という情緒的な受け止め方をする人も多く、まさしく「もののあはれ」です。
田舎の政治も「自然現象」です。春になればサクラが咲くように、選挙があれば与党に投票するのが自然のことわりであるかのような、そういう空気感で動いてます。Rッケン共産党に入れる変人は、そういった自然のことわりに背くヘンなヤツ扱いです。
返信する
哲学なき日本 (コウジ)
2024-08-18 09:46:12
2020-08-15 21:49さん

確かに老荘とは親和性が高そうですね。
ただ哲学まで行かないのが、やまとごごろ。
老子は自然現象を物理学の量子論のレベルまで突き詰めて考えているんですよね。
たいしたものです。

>今の日本では自然現象のような捉えられ方です。
なるほど、確かに。
日本人は社会の出来事を論理的に深く考えることが苦手なのかもしれませんね。

たとえば原爆投下。
これに対して「国際法に照らし合わせて非人道行為だ」「アメリカに責任を問うべきだ」という論が成り立ちますし、実際、現在の朝ドラ主人公のモデルとなった三淵嘉子さんは判事として「非人道行為」と判断しました。
ところが、日本人の原爆投下に対する考え方は「悲しい」「つらい」「怖い」など情緒的。

論理は一定の構造をもっているから言語として普遍的で堅固なんですよね。
一方、感情は瞬間的で言語として頼りない。簡単に流されてしまう。
原爆投下の認識もいずれ変わっていってしまうのかもしれません。
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