平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

JIN -仁- 第6話 欲は生きる源じゃ!

2009年11月16日 | 大河ドラマ・時代劇
★龍馬(内野聖陽)が無私の仁(大沢たかお)に言った言葉。
 「国のため他人のためときれいごとを言うが、実は人は欲でがんじがらめじゃ。みんな、金のため名前のために生きている。わしだってそうじゃ。生まれてきたからには何かをやりたいと思うからがんばっている。欲は生きる源じゃ。先生のやっていることは仏、死人のやっていることじゃ」

 <欲は生きる源>
 欲望を持つのが生きている人間なんですね。
 欲を否定して無私に生きろなんてきれいごとは言わない。
 国のため他人のためなんて言っている人間の裏には欲がある。
 僕もこの人間観に共感します。
 そう言えば、同じ内野聖陽さんが演じていた「風林火山」の山本勘助も同じ様なことを言っていました。
 信玄や勘助、武田家は<人間>の立場で戦っていたんですね。
 一方のライバル上杉は<義>。
 「風林火山」の謙信は毘沙門天の使いでまさに神様、仏様でした。

 自分が人間、<欲望>の存在であること。
 これを知ることは生きる上で大切なことですね。
 ここから自分はどう生きるかを考えるようになる。

★また悩むのも人間。
 咲(綾瀬はるか)や恭太郎(小出恵介)は悩む。
 「私は何のために生きているのでしょう」
 「役立たずは私も同じだ」
 「野風さんがうらやましい」
 「生まれ持った器は何とも出来ない」
 こうやって自分の小ささ、劣等感に悩むのも人間。
 そして
 「小さなことにくよくよ悩んでいても拉致が開かない」
 「小さな盃にもいいものがある」
 と思って生きていくのが人間。

★この作品は<人間>が描けていますね。
 それは刺客に襲われ、恐怖で震えるのもそう。
 死を恐怖し、自分の欲望にふりまわされ、劣等感に傷つく。
 これが人間。
 同じ曜日なので、どうしても比較してしまうが、「天地人」の兼続は<ロボット>に見える。
 人間らしい欲望は全然ないし、自分の情けなさや劣等感に悩むこともない。
 失敗もしない。あるいは失敗であっても自分には失敗という認識がない。
 つまり全然血が通っていないんですね。

 「JIN」では切れば血の出る人間、つらければ涙を流す人間が溢れている。
 こういう人間がたくさん出て来るドラマを見たい。

※追記
 今回は「たんぽぽ」がうまい小道具になっていましたね。
 「たんぽぽ」は吉原の外の象徴。自由の象徴。咲の象徴でもある。
 野風(中谷美紀)がたんぽぽを見るだけで、その気持ちが伝わってくる。
 実にうまい小道具です。



コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 名探偵コナン こうのとりミ... | トップ | 天地人 第46回「大坂城炎上」 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この時代に生きていて欲しい (TEPO)
2009-11-16 23:29:25
前回咲は仁の全てを理解したものの、彼女の表情は晴れずほとんど笑顔が見られなかったのは「咲派」の私には寂しく思われました。私が見た限り、咲の最高の笑顔は第三回末尾で、彼女の手縫い(第一回末尾)の着物を着て西洋医学所に出講しようとする仁を見ていた時でした。つまり、咲の幸福は仁が「この時代の人間として生きようとすること」と結びついています。仁が「物言わぬ写真とやら」との閉じた世界にいることは、まさに彼がこの時代に生きていないことを象徴しています。咲は今回正面からその壁に向かっていきました。そして仁を刺客から守った後、彼に「ここで生きている」ことに覚醒させました。末尾で大根を切りながらの久しぶりの笑顔の復活にほっとしました。

><欲は生きる源>
と仁に食ってかかった今回の龍馬、私も良かったと思います。龍馬も仁がこの時代に本気で生きていないことを感じ取っていたのでしょう。龍馬も咲と同じ想いであるように理解しました。第三回では、咲と龍馬はコロリで危篤となった仁の生還を「戻ってくる」という言葉を用いて祈念していたのが印象的でした。ともあれこれまで仁に圧倒されがちだった龍馬が今回ようやく対等の親友らしくなってきたように感じました。

今回ようやく咲と火花を散らし始めた野風も、仁の危機を知って咲を頼みとして仁を救おうとしたのも良かったと思います。

要するに、今回のテーマは「仁@文久」を愛する咲、龍馬、そして野風に共通した「この時代に生きていて欲しい」という想いだったように思います。

そしてこのことは未来の未来(「みきのみらい」「みらいのみき」いずれも可)の運命にも関わっています。(1)「右手ピース」(2)「左手ピース」(3)「病室を出て室内」(4)「野外」という写真が示す「未来の健康度ゲージ」は、仁が「この時代に生きる」ことに消極的になった分(4)から(3)へと「一歩後退」だったわけです。

また長い書き込みで済みません。
返信する
三歩進んで二歩下がる (コウジ)
2009-11-17 12:30:54
TEPOさん

いつもありがとうございます。
>この時代に生きている。
仁は一回はこの時代に生きて人を救うことを決心しましたが、今回は再び迷いが出て来たようですね。
しかし、迷うのが人。
歌にもありましたが、<三歩進んで二歩下がる>のが生きるということでしょうから、一歩後退も仕方ないですよね。

大根を切るラストの咲もよかったですが、僕は手術で仁の役に立てず、「私は何のために生きているのでしょう」と悩む咲もよかったです。
あとは「私はすべてを知っているのですから、何でも話して下さい」という所も。
本当に一途ですよね。
それでいて「好きです」「愛しています」とは言わない。
すべてがストレートでない間接表現。
うまい人物描写ですよね。

ところで仁が野風に送った手紙の文字、下手でしたよね。
筆を使い慣れていない現代人だからなのでしょうが、こういうディティルがリアリティを与えていますよね。
返信する

コメントを投稿

大河ドラマ・時代劇」カテゴリの最新記事