三河一向一揆終結。
家康(松本潤)は軍師として一向一揆に手を貸した本多正信(松山ケンイチ)に弁明を求めるが、
正信は──
「過ちや悔いなど言えない。過ちを犯したのは殿だからだ。
殿は阿弥陀仏にすがる者たちの心をご存じない。
毎日たらふく飯を食い、おのれの妻と子を助けるために戦をするようなお方には、日々の米一粒のために殺し合い、奪い合う者たちの気持ちはおわかりにならぬのでしょう。
仏を求めるのは生きているのがつらいからだ。
民の救いの場を奪うとは何事だ!?
この大たわけが!」
正信の言葉は現実に基づいているから迫力がある。
お玉(井頭愛海)のこともあるから、言葉に魂がある。
これを受けて家康は──
「とうに悔いておる。わしはずっと悔いておる。
だが、この国を立て直さなければならない。
そのためには過ちをすべて引き受けて、わしは前に進む!」
正信の言葉への返答としては、少し弱いかな?
その後、岡崎城で家康は、家臣たちが無邪気に語る「厭離穢土欣求浄土」をきれいごとだと言い、
妻の瀬名(有村架純)に、厭離穢土欣求浄土の世をつくればいいと諭され、
「そんなことわしにできるのか」とつぶやき、瀬名は「何となくできる気がします」と返す。
家康は「厭離穢土欣求浄土」の思いを新たにする。
…………………………………
物語はこのような流れだ。
でも結局、本證寺を潰したんだよなあ……。
正信が言う『民の救いの場』はなくなってしまった……。
おそらく、これは史実だから、こう描かざるを得なかったんだろうけど。
「お殿様のここを信じたい」と胸に手をやった空誓(市川右團次)を騙すことにもなってしまった。
「寺があった場所は、もとのもとは野っぱらなり」という正信提案の詭弁も使った。
まあ、上にのし上がるためには、こういう騙しや詭弁は必要なんだけど。
「したたか」でなければ、たちまち潰されてしまう時代でもあるし。
大坂冬の陣でも、こういう詭弁を使って大坂城の掘を埋めた人だしね。
ただ、騙された空誓のリアクションを描かなかったのは脚本家、制作陣の逃げのような気がする。
詭弁で救いの場所を失った一向宗の民たちが何を思ったのかも気になる。
『策謀や詭弁を弄し、それを罪と感じながらも引き受けて「厭離穢土欣求浄土」の世をつくる』
おそらくこれが今後の家康像になっていくのだろう。
そして、もうひとつの家康像。
歩き巫女・千代(古川琴音)は信玄(阿部寛)に家康をこう評した。
「才は織田信長に遠く及ばず。これまで見た中でもっとも肝の小さいお方かと。
でも、そのことを知っている」
自分の無力や愚かさを知っている人は賢いんですよね。
・才がなく胆の小さい家康
・したたかな家康
・「厭離穢土欣求浄土」の世をつくろうとする家康
この3つが上手く融合したら魅力的な人物になると思うが、今はまだその過程の段階だ。
あるいは復帰した正信が「したたかな家康」の部分を引き受けるのかもしれない。
※追記
実際の三河一向一揆はこんな感じだったらしい。
大河『家康』一揆を鎮圧した家康の冷酷な一言 「以前のように」“詭弁”を押し通す
実際の家康は一向一揆に容赦なかったようだ。
家康(松本潤)は軍師として一向一揆に手を貸した本多正信(松山ケンイチ)に弁明を求めるが、
正信は──
「過ちや悔いなど言えない。過ちを犯したのは殿だからだ。
殿は阿弥陀仏にすがる者たちの心をご存じない。
毎日たらふく飯を食い、おのれの妻と子を助けるために戦をするようなお方には、日々の米一粒のために殺し合い、奪い合う者たちの気持ちはおわかりにならぬのでしょう。
仏を求めるのは生きているのがつらいからだ。
民の救いの場を奪うとは何事だ!?
この大たわけが!」
正信の言葉は現実に基づいているから迫力がある。
お玉(井頭愛海)のこともあるから、言葉に魂がある。
これを受けて家康は──
「とうに悔いておる。わしはずっと悔いておる。
だが、この国を立て直さなければならない。
そのためには過ちをすべて引き受けて、わしは前に進む!」
正信の言葉への返答としては、少し弱いかな?
その後、岡崎城で家康は、家臣たちが無邪気に語る「厭離穢土欣求浄土」をきれいごとだと言い、
妻の瀬名(有村架純)に、厭離穢土欣求浄土の世をつくればいいと諭され、
「そんなことわしにできるのか」とつぶやき、瀬名は「何となくできる気がします」と返す。
家康は「厭離穢土欣求浄土」の思いを新たにする。
…………………………………
物語はこのような流れだ。
でも結局、本證寺を潰したんだよなあ……。
正信が言う『民の救いの場』はなくなってしまった……。
おそらく、これは史実だから、こう描かざるを得なかったんだろうけど。
「お殿様のここを信じたい」と胸に手をやった空誓(市川右團次)を騙すことにもなってしまった。
「寺があった場所は、もとのもとは野っぱらなり」という正信提案の詭弁も使った。
まあ、上にのし上がるためには、こういう騙しや詭弁は必要なんだけど。
「したたか」でなければ、たちまち潰されてしまう時代でもあるし。
大坂冬の陣でも、こういう詭弁を使って大坂城の掘を埋めた人だしね。
ただ、騙された空誓のリアクションを描かなかったのは脚本家、制作陣の逃げのような気がする。
詭弁で救いの場所を失った一向宗の民たちが何を思ったのかも気になる。
『策謀や詭弁を弄し、それを罪と感じながらも引き受けて「厭離穢土欣求浄土」の世をつくる』
おそらくこれが今後の家康像になっていくのだろう。
そして、もうひとつの家康像。
歩き巫女・千代(古川琴音)は信玄(阿部寛)に家康をこう評した。
「才は織田信長に遠く及ばず。これまで見た中でもっとも肝の小さいお方かと。
でも、そのことを知っている」
自分の無力や愚かさを知っている人は賢いんですよね。
・才がなく胆の小さい家康
・したたかな家康
・「厭離穢土欣求浄土」の世をつくろうとする家康
この3つが上手く融合したら魅力的な人物になると思うが、今はまだその過程の段階だ。
あるいは復帰した正信が「したたかな家康」の部分を引き受けるのかもしれない。
※追記
実際の三河一向一揆はこんな感じだったらしい。
大河『家康』一揆を鎮圧した家康の冷酷な一言 「以前のように」“詭弁”を押し通す
実際の家康は一向一揆に容赦なかったようだ。
敢えてこの時期の家康を「弱虫・小物」として描く作者の意図なのかもしれませんが、このコンセプトは果たして最終的に成功するのでしょうか。
今回の描写は、おそらく本多正信が一向一揆終結後もすぐには帰参しなかった理由の説明だったような気がします。
「もとのもとは野っぱらなり」、私も大坂冬の陣を連想しました。
これも「二度と戻ってくること、あいならぬ」とまで家康に言われた正信が、将来帰参することへの伏線なのかもしれません。
ストーリー展開の弱さ、私はむしろ軍事面に感じました。
家臣への猜疑心から「引き籠もり」状態だった家康が、鳥居忠吉の諫言を受け、腹を括って出撃した途端優勢に転じたと言う。
「三大危機に数えられるピンチ」からの乗り越えはそんな簡単なことだったのか、と呆気にとられました。
ところで「歩き巫女・千代」についてですが、Wiki「どうする家康」の「登場人物」にある「千代」をクリックすると「望月千代女」という項目に飛びます。
つまり、「歩き巫女・千代」のモデルは「望月千代女」という実在の人物のようです。
この「望月千代女」については「くノ一」とする俗説があるそうですが、アカデミックな歴史学者からはこの俗説は憶測のみで根拠がない、と批判されているとのことです。
今回、千代は武田信玄に家康の人物像について報告していましたが、本作の作者は千代についてどのような理解・位置づけをしているのでしょうね。
私の個人的な思いとしては、「武田家に仕える女忍者」というのではあまり面白くありません。
武田信玄と密接な関係があるとしても、あくまでも先週紹介した「自由の民・道道の輩」であって欲しいと思っています。
そのあたりは、先々「三方ヶ原」前後での千代の立ち位置から明らかになってくることでしょう。
いつもありがとうございます。
今回、本多正信が魅力的な人物になりましたね。
お玉を描くことで一向宗に荷担する理由もはっきり示されていました。
そして武将がのし上がるためには軍師が必要なんですよね。
秀吉の竹中半兵衛、黒田官兵衛しかり、劉備の諸葛孔明しかり。
今後は正信が権謀術数を使い、服部半蔵が裏の仕事を引き受けて、家康の足りない部分を補っていくのか。注目ですね。
>ストーリー展開の弱さ、私はむしろ軍事面に感じました。
そうでした。
「わしはお前たちを信じる」で家臣たちが熱くなり、形勢が一気に逆転するんですよね。
仲間を信じる力が強くする。
まるでアニメ『ワンピース』!
ここはもうひと工夫ほしかったように思いました。
実際の「三河一向一揆」については、詳細を書いた記事がありましたので、追記として貼っておきます。
実際の家康は今作のようなやさしい人物ではなく、徹底して一向宗の寺を破壊・粛清した人物だったようですね。
史実を無視するわけにも行きませんし、ここがフィクションの難しさ。
今まで「三河の一向一揆」があまり描かれなかったのは、深く描くと主人公像が破綻してしまうからなのでしょう。
望月千代女。
今、検索して来ました。
やはり「道道の輩」の方がいいですよね。
権力闘争から距離をおいて、バカだな~と思っているような存在がいてもいい気がします。
一般の庶民門徒は真面目でしたが、その上層部である空誓たちは随分と甘い汁を吸っていたそうです。
それを考えたら、テラを解体して命を助けた家康はまだ寛容ですよ。
信長も比叡山の焼き討ちや伊勢長島一向宗の虐殺自体は権力の庇護に堕落して腐った生臭坊主が悪いんですからね。
その一向宗より質の悪いのがイエズス会の連中なんですがね。
正信の過去が明らかになりましたが、彼に言わせたら信長に苛められてめそめそしていた家康は情けない奴と思うかもしれませんな。
まあ~家康は君主としては発展途上ですから、苦い勝利に解釈も出来ます。
いつもありがとうございます。
確かに一向宗は悪く描かれていませんでしたね。
空誓は一揆をやめる理由として「これ以上、民を死なせていいのか」みたいなことを言っていました。
でも実際は、
>上層部である空誓たちは随分と甘い汁を吸っていた。
んですか。
作家としては、正信の「ここは民の救いの場だ」を正当化するためには悪く描けなかったんでしょうね。
空誓が甘い汁を吸っていたら、正信の主張が崩壊してしまいますから。
これが歴史を題材にしたフィクションの難しさなんですよね。
西欧社会も、まだまだ政教分離ができていない時代ですね。
浄土真宗の弾圧ですが…
寺社が政治的な影響力をもって荘園化していたような中世社会から脱して、近世に向かっていくためには、この「弾圧」が必要だったのかもしれないという見方もできます。
もっとも、守護大名や戦国大名はそこまでは考えていなかったでしょうが。
いつもありがとうございます。
寺社の既得権を壊そうとしたのが織田信長なんですよね。
結果、信長は摂津や加賀などの一向宗と戦い、苦しめられることになる。
一方、堺など商人の自治権は認めた。
キリスト教や商人の自治権を保護したのは、信長にとってメリットがあったからなんでしょうね。
そして、商業の自由化など、これらの動きは「近世」への大転換に繋がりました。
おっしゃるとおりでしょう。
自分にとって利益になるから、信長はキリスト教を認めたのだと思いますし、もし自分にとって利益にならなければ、冷酷な信長なら容赦なく潰すでしょう。
…というのは、あるいは従来の大河ドラマ的史観かもしれませんね。
信長公記によると、冷酷と言うよりも、涙もろくて人情味のある人間だったという見方もできるそうですから。
であるならば…
来年の大河ドラマも同じ役者陣で「どうする信長」をやって、再来年も同じ役者で「どうする秀吉」をやれば、戦国三傑の相対化や客観視につながるのかもしれません。
…といったことを周囲の人間にいうと
「そんなことやったら商売にならねえよ」と、大抵バカにされるんですけど、大河のキャストの使い回しは過去に例がないわけでもなくて「利家とまつ」で前田利家をやった唐沢寿明が、何年かあとの大河で、利家役でちょい役的に出演したこともあったわけです。
かつてのサラ金CMの「どうする、アイフル」の名文句を、社名部分だけ入れ替えて、大河のタイトルとして扱ったわけです。
こんな奇跡はめったにありません。
ならば、その「家康」の部分を「信長」や「秀吉」に代入したシリーズを3年続けるのも手だと思うんですけどねwww
まあ、NHKとしては、残念ながらそこまでは思い切れなかったわけでしょうね…
>そこまでは思い切れなかったわけでしょうね…
来年の大河は紫式部を描いた「平安もの」らしいです。
手を変え品を変え、いろいろな攻めたことをやって来るので、「どうする信長」もあるかもしれませんね。
しかし、平安ものか……。
「どうする家康」もそうですが、僕を含めた従来の大河ファンがどれくらいついて来られるか……。
NHKの制作陣が世代交代しているってことなんでしょうね。