「私事で動くとは、恥を知れ!」
銀姫(田中麗奈)は美和(井上真央)の頬をたたく。
そして、言う。
「小田村殿に会いにいけ」
いいですね、このふたりの関係。
ともに戦う同志という感じ。
大河ドラマの主人公が女性の場合、どうしても男たちとの友情や連帯などが描きにくい。
だから、この描き方は正解。
特に美和はひとりでは無力なのだから、権力をもつ銀姫を仲間にしないと主人公として機能しない。
だが、さすがに銀姫の力をもってしても、伊之助(大沢たかお)を救うことは難しく、処刑の前に会いにいかせることが限界だった。
このあたりはリアリズム。
日出(江口のりこ)の美和嫌いは徹底している。
「私も兄を亡くしました」
と、美和に共感するふりをしてネズミを殺す毒を渡し、椋梨(内藤剛志)毒殺の下手人にしようと謀る。
しかし、美和がそれをせず、失敗すると、
「私に兄はいませんので」(笑)
いいぞ~、日出!
でも一方で、僕はこういうの嫌いなんですよね。
安っぽくて。
美和が毒を盛らないことなんかわかり切っているし、陰謀が低レベルすぎる。
仮に椋梨が毒殺されても、伊之助が助かるわけではないし、美和の一家に災厄が及ぶことは確か。
美和と伊之助のやりとりには、人生を感じさせた。
大したことをなせずに死んでいく伊之助は美和に問う。
「私は今まで何をなしてきたか?」
これに答えて、美和。
「兄上が何をなしたかなさんかったか。それは私には分かりかねます。
されど今までどう生きてこられたか。それなら分かります。
私にとって兄上は空のような方でした。
気づけば、ふとおって、いつも見守って下さって、たくさん大事なものを下さいました」
人生って、「何をなしたか(=結果)」よりも「どう生きてきたか(=過程)」の方が大切なんですね。
伊之助は歴史に何も貢献できなかったことを嘆いているわけですが、そんなことが出来るのはごくわずかな人たちで、普通の人は名もなく死んでいく。
大切なのは過程。
それでも伊之助が残したものを敢えてあげれば、美和が語った、<友情>や<温情>や<家族>や<美しいもの>。
人生はそれらで十分。
まあ、これも人生論としては、手垢のついた安っぽいものですが……。
物語としては、椋梨が完全な悪になってしまいました。
椋梨としては、藩を存続させるために、久坂らのやったことの尻ぬぐいをしているだけなんですけどね。
せっかく収まりかけていた所で、
「高杉晋作、下関にて挙兵!」
椋梨としては、すごく迷惑だったに違いない。
たしかにこのふたりは私好みの関係ですし、最近は松下村塾編よりははるかによくなっているとは思いますが、今回はいささか魅力に欠ける気がしました。
28話は特別任務による特進、29話はリストラ担当の難題のクリア、30話は拗ねかけた銀姫を支えて主従の絆を確立、といった具合に「痛快材料」があったために、「ご都合主義」や少々の「歴史描写上の無理」には目をつぶって楽しむことができました。
しかし、今回は伊之助に会いに行っただけ。伊之助は結局助かることは分かりきっているので、それだけでは盛り上がりに欠けます。
見合うだけの痛快材料がない分、「あら」(安っぽさ?)が目立ってしまいます。
>物語としては、椋梨が完全な悪になってしまいました。
椋梨は藩の存続を賭けて彼なりに必死だった筈で、「歴史好き」の方々は、1時間時代劇の悪家老のように藩の実権を握って「我が世の春」のような顔をしているのは不自然だ、と指摘されています。
また長州藩存亡の危機にしては奥御殿が平和すぎる、との指摘もあります。
視聴者は「八重の桜」での照姫以下、奥の女性たちの緊迫した雰囲気を見ていたので、比較されてしまいます。
江戸城大奥なら江戸城総攻撃直前まで外界とは別世界だったとしても頷けますが。
そもそも一大名家の奥御殿を「大奥」と称すること自体に違和感がありました。
そして日出。
>美和が毒を盛らないことなんかわかり切っているし、陰謀が低レベルすぎる。
おっしゃる通りですし、特に私がまずいと思ったのは
>「私に兄はいませんので」(笑)
日出の憎たらしさを強調したかったのかもしれませんが、他の人-たとえば鞠-に言うのならともかく、美和に向かってそれを言ってしまっては自分が敵であることを宣言しているようなもの。
あと数回は悪役として活躍してもらわなければならない以上、彼女はもっと陰険でなければならないと思います。
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり全体的に「あら?」という感じですよね。
ゆるくて、浅くて、脚本家さんは小手先で書いている感じがします。
今回は金子ありささんでしたが、脚本の現場は相当行き詰まっているのかもしれません。
他のブロガーさんが書いていらっしゃいましたが、すでに31回なのにこの状態。
明治編をしっかり描ききることができるのでしょうか?
大河ドラマの作家に必要なのは、歴史観ですよね。
幕末明治であれば、尊皇攘夷をどう考えるのか? 明治の時代をどう考えるのか?
そんなことが必要であるような気がします。