虎松(菅田将暉)、のちの井伊直政編の始まりだった。
完全な主役交代だ。
最後の梅雀さんのナレーションに拠ると、〝出世物語〟になるらしい。
一介の草履番から徳川家の四天王と言われる大名へ。
やっぱ、こういうダイナミズムが必要だよな~。
虎松は井伊直親(三浦春馬)の遺児。
亥之助(井之脇海)は小野政次(高橋一生)の遺児。
このふたりがタッグを組んでいる所が面白い。
歴史は繰り返す。
父親たちは挫折したが、その子供たちはリベンジし、井伊家を盛り立てていくのだろう。
しかし、虎松はまだ15歳の子供だ。
才気があるとは言え、簡単にオトナの手玉に取られてしまう。
それが家康(阿部サダヲ)のそばで仕える〝小姓〟から〝草履番〟への格下げだ。
徳川に貢献してきた松下源太郎(古舘寬治)の息子なら〝小姓〟だが、今川寄りだった井伊の子なら〝草履番〟だというオトナの世界の論理。
虎松はこれに思いを致すことができなかった。
一方、家康はそんな虎松に興味を持ち、いろいろ試している様子。
〝小姓〟か、〝草履番〟かの選択を迫り、虎松が迷った末に、
「それがしは昨日、殿より井伊万千代という名をいただきました。
それをおのれの欲得のため一晩にて松下と前言を翻すは不忠の極み!
井伊万千代、かくなる上は日の本一の草履番を目指す所存にございます!」
と言い切ったことを痛快だと思った。
虎松と家康。
このふたり、面白い主従になりそうだ。
………………
そして、おとわ(柴崎コウ)。
虎松とは対照的な位置にいる。
おとわはあきらめ。
家名はなくても井伊の血が残っていればいい、という考え方。
物事に執着しない、仏教で言う〝諦め〟の境地。
一方、虎松はあきらめない。
井伊家再興に執念を燃やし、たとえうまく行かなくても
「勝負はあきらめなければよいだけだ」
と叫ぶ。
これが〝若さ〟なんですね。
野心を抱き、泣き笑いし、疲れ知らずで、生命を燃やすことをまったく厭わない。
仏教の悟りからは程遠い境地。
おとわは現世利益を否定する〝僧〟だったが、虎松は現実を力で切り開いていく〝武家の子〟であり、根本の発想が全然、違う。
時代も若者や新興勢力がのし上がれる時代になってきた。
〝あきらめ〟のおとわと〝あきらめない〟虎松。
このふたりのぶつかり合いにも注目だ。
人間的には、悟りの境地に近いおとわより、まったく悟っていない虎松の方が面白いよね。
完全な主役交代だ。
最後の梅雀さんのナレーションに拠ると、〝出世物語〟になるらしい。
一介の草履番から徳川家の四天王と言われる大名へ。
やっぱ、こういうダイナミズムが必要だよな~。
虎松は井伊直親(三浦春馬)の遺児。
亥之助(井之脇海)は小野政次(高橋一生)の遺児。
このふたりがタッグを組んでいる所が面白い。
歴史は繰り返す。
父親たちは挫折したが、その子供たちはリベンジし、井伊家を盛り立てていくのだろう。
しかし、虎松はまだ15歳の子供だ。
才気があるとは言え、簡単にオトナの手玉に取られてしまう。
それが家康(阿部サダヲ)のそばで仕える〝小姓〟から〝草履番〟への格下げだ。
徳川に貢献してきた松下源太郎(古舘寬治)の息子なら〝小姓〟だが、今川寄りだった井伊の子なら〝草履番〟だというオトナの世界の論理。
虎松はこれに思いを致すことができなかった。
一方、家康はそんな虎松に興味を持ち、いろいろ試している様子。
〝小姓〟か、〝草履番〟かの選択を迫り、虎松が迷った末に、
「それがしは昨日、殿より井伊万千代という名をいただきました。
それをおのれの欲得のため一晩にて松下と前言を翻すは不忠の極み!
井伊万千代、かくなる上は日の本一の草履番を目指す所存にございます!」
と言い切ったことを痛快だと思った。
虎松と家康。
このふたり、面白い主従になりそうだ。
………………
そして、おとわ(柴崎コウ)。
虎松とは対照的な位置にいる。
おとわはあきらめ。
家名はなくても井伊の血が残っていればいい、という考え方。
物事に執着しない、仏教で言う〝諦め〟の境地。
一方、虎松はあきらめない。
井伊家再興に執念を燃やし、たとえうまく行かなくても
「勝負はあきらめなければよいだけだ」
と叫ぶ。
これが〝若さ〟なんですね。
野心を抱き、泣き笑いし、疲れ知らずで、生命を燃やすことをまったく厭わない。
仏教の悟りからは程遠い境地。
おとわは現世利益を否定する〝僧〟だったが、虎松は現実を力で切り開いていく〝武家の子〟であり、根本の発想が全然、違う。
時代も若者や新興勢力がのし上がれる時代になってきた。
〝あきらめ〟のおとわと〝あきらめない〟虎松。
このふたりのぶつかり合いにも注目だ。
人間的には、悟りの境地に近いおとわより、まったく悟っていない虎松の方が面白いよね。
だとすれば、もっと時間(回数)を配分すべきだったのではないでしょうか。
「花燃ゆ」の時もそうでしたが、今回も史実以上の「下っ端」から出発させるようです。
短期間でのし上がる話は痛快でしょうが、下手をすると出来過ぎのご都合主義に陥る危険があります。
また、どうせのことなら直虎死後の直政の華々しい出世まで射程に入れるために「井伊三代記」にすべきだったでしょうね。
ここに来て龍雲丸は必要なキャラだったのだろうか、との疑問が強くなってきました。
これまでニュートラルな書き方をしてきましたが、実は内心私もmegumiさんとほぼ同意見でした。
材木盗伐事件の折には「私情に流され厳正さを見失う」ということで領主としての直虎の瑕疵の材料となってしまいました。
それだけの犠牲を払い、時間とエネルギーを投入して描き込んだにしては、龍雲丸は大した役割を果たしていなかったように思います。
「武士以外の目線」というのであれば、甚兵衛ら農民たちや中村与太夫ら気賀の商人たちとの関係をもっと描き込めば済むこと。
「史実の空白期間」についてはやはり私も直虎には龍潭寺の尼僧のままで居てほしかったし、その方が自然だったと思います。
とにかくあと2ヶ月半、その中に信康と瀬名の悲劇も入ることでしょうし。
コウジさんも書いてらっしゃったとおり、まだ「総括」には早いのですが、ちょっと構成(話数配分のバランス)が気になっています。
「出世物語」が始まったようですね。
草履番になったため、直虎との関わりもあまりないでしょうし、完全に独立した話になるのでしょうか。
そうなると、直虎の影は薄くなる?
龍雲丸に関しては、おっしゃるとおり、いなくても成り立ちそうですね。
材木を取り戻すなどの神出鬼没の活躍は龍潭寺の僧に任せればよかったですし、武家以外の価値感や城の悲劇は、これまたおっしゃるとおり、中村与太夫らに任せてもよかった。
逆に龍雲丸に使った尺を、虎松・直政に使ったらバランスがよくなったかもしれません。
毎年、書きますが、これがオリジナル大河の難しさなんですよね。
さて、残り二ヶ月半、長篠の合戦は時代的にそろそろらしいので省かれるでしょうし、どの歴史のエピソードが描かれるんでしょうね。
瀬名と信康は絶対に入りますよね。
諦めきった中年女よりも 諦めない若者の方の成功譚の方が面白いに決まっています。
もっと早く こっちにシフトしていれば良かったのに
つくづく惜しいですね。
「政次善玉説」を採ったことによって おかしくなったのだと思っています。
確かなことでは無いかもしれませんが
政次は小野家代々の今川家寄り 玄蕃は井伊家寄りだったので兄弟仲が悪かったという説もあります。
玄蕃の遺児・亥之助は 従兄の直政に仕えて主従関係を結び 大きな功績も有ったでしょう。
(同じ従兄弟でも母同士が兄弟であれば仲が良くなるのは現代も同じ)
それ故に
小野家の墓が龍潭寺の中でも広く場所取りしたのではないでしょうか。
小野家の墓の広さから発展させて 小野政次を良く見せようとしたことから
話の綻びと時間の空費を招いたような気がします。
政次役の高橋一生さんを楽しんだ私が言うのも変ですが・・・。
いつもありがとうございます。
ドラマづくりというのは難しいですよね。
もし政次を完全な悪役にしてしまったら、勧善懲悪の物語になり、作品に深みがなくなる。
僕は、政次処刑前後の話は面白く見られたので、あれがもし憎しみだけの処刑だったらどうなっていたんだろうと考えてしまいます。
一方、僕が『直虎』に物足りないと感じる部分は〝歴史〟なんですよね。
大河ドラマでは〝歴史〟を見たい。
なので、今回は家康が全面に出てきて「おおっ、歴史になった」と思いました。
話ははずれますが、『ソウル1945』は歴史に翻弄される登場人物たちが上手く描かれていて、よかったですね。
歴史とドラマが絶妙にミックスされた作品だと思いました。
ああいう作品をなぜ日本は作れないんでしょうね。
>政次処刑前後の話は面白く見られたので
私もロスになったくらいですから おっしゃる意味は分かります。
でも 政次が味方だということを 意外にも早くカミングアウト(見破られたことも含めて)しました。
そのことで深みがあったと言えるでしょうか?
その後 時を経ずして 井伊家を放り出し還俗までして
元は武士の子とは言え盗賊と所帯を持つおとわ。
これほどまでに政次を無駄死にさせるくらいならば根本からおかしなストーリー仕立てです。
徹頭徹尾 「小野の人間」として生きた政次でも良かったと思います。
高橋さんは悪を演じても上手いので それなりに見応えがあったと思います。
下克上など何でもありの戦国時代ですから
小野家のためにしたことであり 完全に悪では無いとも思います。
(子供時代を描いた4話分を見ていないから言えることですが・・・。)
繰り返しになりますが
井伊家の話で 直虎を中心に据えると資料が無さ過ぎるので
直政で後半を作れば もう少し面白く出来たでしょうね。
「ソウル1945」の実話と虚構の絡め方の巧みさには改めて感心しますよね。
あれは 保存しているので もう1回見たいと思いながら
視聴するエネルギーが・・・足りません。(笑)
>そのことで深みがあったと言えるでしょうか?
たとえば直虎が政次を槍で突き刺す時、さまざまな思いがあったと思うんですよね。
それが政次を単なる悪にしてしまうと、〝憎しみ〟の感情だけになってしまう。
刺された後のふたりのせりふのやりとりも額面どおりのものになってしまいますし、政次が遺した「君を待つ」の歌も登場しなかった。
これが僕の考える〝深み〟です。
もっとも、他の部分は〝軽い〟んですけどね。
ご指摘の還俗も龍雲丸と所帯を持つことも軽い。
もともと、この作品は〝軽さ〟をコンセプトにした作品だと思いますが、役者・髙橋一生に脚本家が引っ張られたのでしょうか、政次の絡みのシーンだけが〝深くて重い〟んですよね。
視聴するエネルギーってわかります。
他に楽しいことがあるせいもありますが、僕も最近連ドラを最後まで見るパワーがなくなりました。