今回のサブタイトルは『ままならぬ思い』
さまざまな『ままならぬ思い』が描かれる。
まずは八重(綾瀬はるか)。
女性であるがゆえに、鉄砲の腕があっても会津のために働けない。
時尾(貫地谷しほり)は恋愛。
想いを寄せていた人が別な人と結婚してしまった。
佐川官兵衛(中村獅童)も都で働けないことで鬱屈している。
そのために脱藩も覚悟。
大蔵(玉山鉄二)は八重への想いが届かない。
「京で会津を思う時には、きっと真っ先に八重さんの顔が浮かぶ。あなたは会津そのものだから」
十分過ぎる告白なのに八重には理解出来ない。
西郷頼母(西田敏行)は会津と容保(綾野剛)の将来を憂えて、京都守護職を辞めることを進言する。
容保の置かれている立場や性格・信念がそれを許さないことを知りながら。
しかし、そう言わずにはいられない。
容保も頼母の言うことを十分理解できるのだが、幕府や孝明天皇(市川染五郎)との関係で受け入れることが出来ない。
誰よりも自分のことを思って進言してくれた頼母に泣く泣く蟄居を命じる。
そして孝明天皇。
彼も自分の思いどおりの政治・人事を行うことが出来ない。
自分のあずかり知らぬ所で勅命を出され、自分はただのお飾りになっている。
八重、時尾、官兵衛、大蔵、頼母、容保、孝明天皇……。
皆、『ままならぬ思い』を抱えている。
もっとも、人が生きるとは『ままならぬ思い』を抱えて生きていくこと。
自分の思いどおりに生きられる人など、ほとんどおらず、皆、何らかの妥協をし、折り合いをつけて生きている。
だから八重と頼母が桜の木の下で語り合うシーンは興味深い。
ふたりは、『ままならぬ思い』という点で共感し合う。
立場も身分も性別も年齢も違う人間どうしが、『ままならぬ思い』という点で繋がり、結びつく。
おそらく人が理解し合うとは、こういうことなのだろう。
今回、八重と頼母は『ままならぬ思い』以外でも、結びついた。
それは『桜の木を枯らさないこと』。
この場合の『桜の木』とは<会津>のことである。
これからふたりは、今回、毛虫取りをしたように、桜の木=会津を枯らさないために闘っていくのだろう。
ここに来て、<桜>の意味が見えてきた。
最後は、覚馬(西島秀俊)に対する勝麟太郎(生瀬勝久)の言葉。
「攘夷もできず開国もせず、その場しのぎの言い逃ればかりしてちゃどうにもならねえわさ」
「一敗地にまみれ、たたき潰されてそこから這い上がりゃ、10年後、100年後、この国もちっとはましになるだろうよ」
「人斬りに人斬りぶっつけちゃ切りがねえ」
「考えて、考えて、考え抜いてみろ!」
これって、現代人に対するメッセージでもありますよね。
たとえば、僕などは、これらのせりふから現代の<TPP問題><原発問題(=現在、原発推進の方向に戻りつつありますが、もう一度悲惨な事故が起きなければわからないのかな、電力会社や政治家、原発推進派の人は)><武力には武力で解決しようとする風潮>などを感じてしまう。
これは勝のせりふを借りた作家さんのメッセージ。
現代人もまた安易な問題解決に走らず、考えて、考えて、考え抜かなくてはならないんですね。
さまざまな『ままならぬ思い』が描かれる。
まずは八重(綾瀬はるか)。
女性であるがゆえに、鉄砲の腕があっても会津のために働けない。
時尾(貫地谷しほり)は恋愛。
想いを寄せていた人が別な人と結婚してしまった。
佐川官兵衛(中村獅童)も都で働けないことで鬱屈している。
そのために脱藩も覚悟。
大蔵(玉山鉄二)は八重への想いが届かない。
「京で会津を思う時には、きっと真っ先に八重さんの顔が浮かぶ。あなたは会津そのものだから」
十分過ぎる告白なのに八重には理解出来ない。
西郷頼母(西田敏行)は会津と容保(綾野剛)の将来を憂えて、京都守護職を辞めることを進言する。
容保の置かれている立場や性格・信念がそれを許さないことを知りながら。
しかし、そう言わずにはいられない。
容保も頼母の言うことを十分理解できるのだが、幕府や孝明天皇(市川染五郎)との関係で受け入れることが出来ない。
誰よりも自分のことを思って進言してくれた頼母に泣く泣く蟄居を命じる。
そして孝明天皇。
彼も自分の思いどおりの政治・人事を行うことが出来ない。
自分のあずかり知らぬ所で勅命を出され、自分はただのお飾りになっている。
八重、時尾、官兵衛、大蔵、頼母、容保、孝明天皇……。
皆、『ままならぬ思い』を抱えている。
もっとも、人が生きるとは『ままならぬ思い』を抱えて生きていくこと。
自分の思いどおりに生きられる人など、ほとんどおらず、皆、何らかの妥協をし、折り合いをつけて生きている。
だから八重と頼母が桜の木の下で語り合うシーンは興味深い。
ふたりは、『ままならぬ思い』という点で共感し合う。
立場も身分も性別も年齢も違う人間どうしが、『ままならぬ思い』という点で繋がり、結びつく。
おそらく人が理解し合うとは、こういうことなのだろう。
今回、八重と頼母は『ままならぬ思い』以外でも、結びついた。
それは『桜の木を枯らさないこと』。
この場合の『桜の木』とは<会津>のことである。
これからふたりは、今回、毛虫取りをしたように、桜の木=会津を枯らさないために闘っていくのだろう。
ここに来て、<桜>の意味が見えてきた。
最後は、覚馬(西島秀俊)に対する勝麟太郎(生瀬勝久)の言葉。
「攘夷もできず開国もせず、その場しのぎの言い逃ればかりしてちゃどうにもならねえわさ」
「一敗地にまみれ、たたき潰されてそこから這い上がりゃ、10年後、100年後、この国もちっとはましになるだろうよ」
「人斬りに人斬りぶっつけちゃ切りがねえ」
「考えて、考えて、考え抜いてみろ!」
これって、現代人に対するメッセージでもありますよね。
たとえば、僕などは、これらのせりふから現代の<TPP問題><原発問題(=現在、原発推進の方向に戻りつつありますが、もう一度悲惨な事故が起きなければわからないのかな、電力会社や政治家、原発推進派の人は)><武力には武力で解決しようとする風潮>などを感じてしまう。
これは勝のせりふを借りた作家さんのメッセージ。
現代人もまた安易な問題解決に走らず、考えて、考えて、考え抜かなくてはならないんですね。
>八重と頼母が桜の木の下で語り合うシーン
>立場も身分も性別も年齢も違う人間どうしが、『ままならぬ思い』という点で繋がり、結びつく。
私も今回一番好きなシーンはここでした。
ほのぼのの暖かくていいですね。そして「色恋」に関しては
>想いを寄せていた人が別な人と結婚してしまった。
という親友の思いにも、また自分に向けられた
>「京で会津を思う時には、きっと真っ先に八重さんの顔が浮かぶ。あなたは会津そのものだから」
という「十分過ぎる告白」にもまったく気付かない超鈍感。
ここまでくると仁先生をも遙かに超えていて-あの時は立場が逆でしたが-「癒やし」の域に達している観があります。
こうした味わいには、おそらく綾瀬さんの「地」も一役買っているのでしょうね。
まだ八重の「時」は来ていないと思いますが、十分に楽しんでいます。
いつもありがとうございます。
まさに綾瀬八重の「味」でしたね。
この作品の綾瀬はるかさんは、抑えた演技をされている。
「仁-JIN-」の咲さんなどは、モノマネされるほど、特徴的でしたし、「ホタルノヒカリ」や「ミスター・ブレイン」などでは弾けて綾瀬はるか炸裂!
演出の指示もあるのでしょうが、綾瀬さんとしてはこの八重という役で新境地開拓、抑えた演技でどこまで自分を輝かせるかということに挑戦しているように思えます。
今の八重はジャンプする前に腰を低く屈めている状態なんでしょうね。