「これからは一蓮托生になる。よろしく頼むぞ、井伊万千代殿」
今回は父親・松下源太郎(古舘寛治)のこのせりふに尽きる。
育てた子の不義理も責めず、虎松(菅田将暉)の意思を尊重する。
そして、この虎松との距離感。
源太郎は、虎松が井伊万千代になることを認めたのだ。
距離感については、こんなせりふもあった。
源太郎が現われ、虎松が恐縮して「松下殿」と呼んだ時、源太郎はこう言う。
「呼びにくければ、父上と呼んでもいいんじゃぞ」
源太郎は本当は「父上」と呼んでほしかったんじゃないかな~。
哀しくてやさしい松下源太郎。
おとわ(柴崎コウ)も虎松の意思を認めた。
帰り際に、草履に名札を付けているのを見て、棚に名札を貼った方が効率がいいことを指摘する。
この婉曲的な意思表示。
それが「しっかりお務めを果たしなさい」といった直接的なせりふだったら面白みがない。
〝非凡なる凡〟の家康(阿部サダヲ)も虎松のことを愛情を持って見ている。
虎松が〝叩けば叩くほど強くなる子〟であることをしっかり見抜き、試練を与えて育てていたのだ。
家康、なかなか名君ではないか。
自分も苦労人だから、苦労の大切さがわかっているんだろうな~。
虎松は〝いい父親〟〝いい主君〟に恵まれた。
こんなふうに、たくさんの愛情を注がれた人間は大きくたくましく育つ。
しかも、ただベタベタとやさしいだけでなく、一定の距離を保って。
………………
今川氏真(尾上松也)にも言及したい。
「何もいくさばかりが仇の取り方ではあるまい」
こう言って、父親を殺した信長の前で蹴鞠を披露する氏真。
目的は信長に取り入るためだ。
同時に、氏真は和歌を詠むなど、風流や京での文化的な生活を愉しんでいる。
好きだな~、この氏真の生き様。
実にやわらかい。
強風や激流に逆らわず、受け流す。
そして何よりも自分の生活を大切にしている。
人生の勝者とは何だろう?
いくさに勝つことか?
出世して上り詰めることか?
氏真も立派な人生の勝者だと思う。
………………
最後は虎松の〝草履投げ〟
これは史実として、広島藩の記録などに残っているらしい。
ツイッターでは早速、反応!
『虎松の2分映像にある草履投げ。江戸時代には草履取りは身分が低くて殿様に近付けないから、草履を殿様の駕篭に向かってぴたっと揃うように投げていた、という昔読んだ漫画知識を思い出した』
『昨日教えてもらった知識で面白かったのは江戸時代お城に上がる武士にくっついて、帰りの際に草履を投げる役目の人がいたって話。城玄関から石畳が1mくらい距離あって、草履投げは身分低いから石畳に上がることが許されないから武士の足の前で二足揃うように草履投げるのが仕事。失敗したら家の恥』
一方、こんなツッコミも!
『草履投げを徹夜で練習って、少年ジャンプかよ!!!!www』
『諦めなければ必ずできる!と言ってやってることが草履投げwwwww』
『万千代君が今回会得したスタイリッシュ草履投げは、後に手裏剣投げて相手を倒すフラグかなって思いました』←やってほしい!
かくして虎松は〝日本一の草履番〟になったのであった!
それにしても皆さん、ドラマを楽しく見ているな~。
今回は父親・松下源太郎(古舘寛治)のこのせりふに尽きる。
育てた子の不義理も責めず、虎松(菅田将暉)の意思を尊重する。
そして、この虎松との距離感。
源太郎は、虎松が井伊万千代になることを認めたのだ。
距離感については、こんなせりふもあった。
源太郎が現われ、虎松が恐縮して「松下殿」と呼んだ時、源太郎はこう言う。
「呼びにくければ、父上と呼んでもいいんじゃぞ」
源太郎は本当は「父上」と呼んでほしかったんじゃないかな~。
哀しくてやさしい松下源太郎。
おとわ(柴崎コウ)も虎松の意思を認めた。
帰り際に、草履に名札を付けているのを見て、棚に名札を貼った方が効率がいいことを指摘する。
この婉曲的な意思表示。
それが「しっかりお務めを果たしなさい」といった直接的なせりふだったら面白みがない。
〝非凡なる凡〟の家康(阿部サダヲ)も虎松のことを愛情を持って見ている。
虎松が〝叩けば叩くほど強くなる子〟であることをしっかり見抜き、試練を与えて育てていたのだ。
家康、なかなか名君ではないか。
自分も苦労人だから、苦労の大切さがわかっているんだろうな~。
虎松は〝いい父親〟〝いい主君〟に恵まれた。
こんなふうに、たくさんの愛情を注がれた人間は大きくたくましく育つ。
しかも、ただベタベタとやさしいだけでなく、一定の距離を保って。
………………
今川氏真(尾上松也)にも言及したい。
「何もいくさばかりが仇の取り方ではあるまい」
こう言って、父親を殺した信長の前で蹴鞠を披露する氏真。
目的は信長に取り入るためだ。
同時に、氏真は和歌を詠むなど、風流や京での文化的な生活を愉しんでいる。
好きだな~、この氏真の生き様。
実にやわらかい。
強風や激流に逆らわず、受け流す。
そして何よりも自分の生活を大切にしている。
人生の勝者とは何だろう?
いくさに勝つことか?
出世して上り詰めることか?
氏真も立派な人生の勝者だと思う。
………………
最後は虎松の〝草履投げ〟
これは史実として、広島藩の記録などに残っているらしい。
ツイッターでは早速、反応!
『虎松の2分映像にある草履投げ。江戸時代には草履取りは身分が低くて殿様に近付けないから、草履を殿様の駕篭に向かってぴたっと揃うように投げていた、という昔読んだ漫画知識を思い出した』
『昨日教えてもらった知識で面白かったのは江戸時代お城に上がる武士にくっついて、帰りの際に草履を投げる役目の人がいたって話。城玄関から石畳が1mくらい距離あって、草履投げは身分低いから石畳に上がることが許されないから武士の足の前で二足揃うように草履投げるのが仕事。失敗したら家の恥』
一方、こんなツッコミも!
『草履投げを徹夜で練習って、少年ジャンプかよ!!!!www』
『諦めなければ必ずできる!と言ってやってることが草履投げwwwww』
『万千代君が今回会得したスタイリッシュ草履投げは、後に手裏剣投げて相手を倒すフラグかなって思いました』←やってほしい!
かくして虎松は〝日本一の草履番〟になったのであった!
それにしても皆さん、ドラマを楽しく見ているな~。
いつもありがとうございます。
>また龍が出て来そうでイヤですが・・・。(笑)
きっと最後の最後に出てきますよ!(笑)
どんな感じで登場するんでしょうね?
僕は個人的には楽しみです。
風流に生きた今川氏真の生き方は立派ですね。
その精神は子孫にも引き継がれている。
逆に氏真視点で戦国時代を描いたら面白い切り口になるのにな~。
覇権を争って狂奔する男たちを鼻で笑う氏真を見てみたい。
同じ切り口の作品としては、コミック『へうげもの』がありますが、スピンオフでやればいいのに、と思いました。
今日 撮影終了の記事が載ってましたね。
演者の皆さん お疲れさまでした・・・ですよね。
井伊直政の生涯を 遅ればせながら調べました。
年譜(どこまで本当か分かりませんが)どおりに描いてないのはA型としては気に入りませんが
こうなったら 最後まで見ます。
また龍が出て来そうでイヤですが・・・。(笑)
7月14日(金)の歴史ヒストリアで
「今川氏真」のその後を扱っていましたね。
ときに高家として 幕末まで生き延びたそうです。武力では無く有職故実などの教養分野で活躍したのが いかにも彼の子孫らしいと思いました。
戦の無い時代であれば 武士は官僚、事務方ですもんね。
ご指摘ありがとうございます。
僕の表現力はまだまだですね。
少年ジャンプの件は、他の方のツィートを引用させていただいたものなんです。
一応、代弁すると、〝友情・努力・勝利〟の少年ジャンプ的だってことを言いたかったんだと思います。
上手いツッコミですよね。
いつもありがとうございます。
氏真は愛情を注がれて描かれていますよね。
普通ならフェイドアウトしてもおかしくない。
この今川氏真の生き方に作家のメッセージが込められていると思いました。
言わば、「いくさに勝つこと」「出世して上り詰めること」という典型的な大河キャラに対するアンチ。
生き方はそれらだけじゃないんだよ、というメッセージ。
この作品には、直虎、氏真、家康のように、戦わない人、戦いたくない人がいっぱい出ているんですよね。
一方、万千代はその対極。
若いので野心に燃えている。
上手い対比、バランスの取り方ですよね。
>父親を殺した信長の前で蹴鞠を披露する氏真。
たしかに、今回キャラとして輝いていたのは松下源太郎と今川氏真でした。
二人に共通していることは「メンツをかなぐり捨てている」ことかと思います。
源太郎について言えば、おっしゃるとおりの「優しさ」がポイント。
しかし、特に氏真が「意外にも」味わいあるキャラになってきていると感じました。
氏真については「まだいたのか」といった感じ方をする人もいるかと思います。
足利義昭もそうですが、将軍として、あるいは大名としての地位から追われた後は普通その存在は完全に無視されます。
しかし、氏真も義昭も「メンツをかなぐり捨て」た上で生きているのであり、しかもそのことが必ずしも「敗北」ではない、と森下さんは主張しているようです。
「メンツをかなぐり捨てる」という点ではまさに直虎がそれで、「引退した領主」としては自然な「龍潭寺尼僧」ではなく敢えて「一介の百姓」としたのもその点を強調するためだったのでしょう。
ただし、「いくさに勝つこと」「出世して上り詰めること」を期待する大方の大河ファンはにとって、そうしたキャラは「格好良さ」に欠けるので不満でしょうね。
先週も書きましたが、万千代の「出世物語」が前面に出てきたのは私には意外でしたが、そうした視聴者層の不満解消のためなのか、それ以上の意味があるのか、これからを見守りたいと思います。