平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

敬愛なるベートーヴェン

2009年04月07日 | 洋画
 人には良き理解者と同行者が必要。
 この作品を見ると、そのことを考えさせられる。

 難聴が極まりいよいよ気難しくなったベートーヴェン(エド・ハリス)。
 第九の初演は4日後に迫り合唱部分が出来ていない。
 イライラがつのり当たり散らす。
 音楽に熱狂的に没頭する彼だから当然生活破綻者。床の上から水を被り風呂代わり。当然下は水浸しで苦情が来る。
 彼の愛した甥のカールはベートーヴェンのことを嫌っている。金の無心だけに来る。そのことがわかっていながら甥を愛さずにはいられないベートーヴェン。

 こんな心に嵐が吹きまくっているベートーヴェンの前に現れたのが、女性コピスト(写譜師)のアンナ・ホルツ。
 音楽の才能がある彼女はベートーヴェンの芸術の理解者でもある。
 第九の譜面でのベートーヴェンの間違いを指摘するアンナ。
 彼女はこう言う。
 「あなたならここはロ長調にしません」
 当時流行だったロッシーニなどのイタリア音楽に媚びてベートーヴェンは長調にしたのだが、ベートーヴェンの芸術を知るアンナは「そこはロ短調だ」と言う。
 こうして自分の芸術の良き理解者を得たベートーヴェン。

 第九の初演でアンナは難聴で指揮が困難なベートーヴェンに入りとテンポを教える。
 アンナが指示を出しベートーヴェンが指揮をする。
 結果、第九の初演は大成功。
 この成功はベートーヴェンとアンナ、ふたりの力で勝ち取ったものであった。
 アンナに絶大な信頼を寄せるベートーヴェン。

 しかしアンナが愛したのはベートーヴェンの芸術であり、ベートーヴェン本人ではない。
 アンナには建築家の恋人がいる。
 そこですれ違うベートーヴェンとアンナ。
 ベートーヴェンは愛に飢えている。
 そして芸術に忠実だ。
 芸術に忠実なあまりアンナの恋人の作った橋の模型を「魂が入っていない」と言ってぶち壊す。
 アンナの作曲した曲も「オナラの曲だ」と言ってからかいまくる。
 ベートーヴェンは天才ゆえ他人の思惑など考えないのだ。
 天才ゆえの孤独。
 
 物語はそんな対立関係をはらんだまま、ベートーヴェンの死のシーンに向かう。
 ベートーヴェンの晩年は悲惨だった。
 渾身の「大フーガ」はあまりにも斬新過ぎて不評。
 失意のまま病に倒れる。
 そこへ看病にやって来たのは……アンナ!
 彼女はどんなにベートーヴェンに傷つけられても彼を見捨てなかったのだ。
 アンナはベートーヴェンの欠点を含めた良き理解者であり、晩年の同行者であった。
 アンナが隣にいて死に臨んだベートーヴェンは随分救われたことだろう。

 そしてそれはアンナも。
 残念ながら彼女の音楽の才能は優秀であっても天才ではなかった。
 しかしアンナには第九の初演でベートーヴェンを助けていっしょに指揮をしたという強烈な体験がある。
 その体験、記憶だけで彼女の生は意味づけられた。

 人には同行者が必要である。
 そう言えば第九の詩の中にも「たったひとりでも心を通わせる人がいたらその人生は成功である」といった言葉がありましたね。


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天地人 第14回「黄金の盟約」

2009年04月06日 | 大河ドラマ・時代劇
 第14回「黄金の盟約」

 金で敵を釣る。
 他の武将たちが異を唱えた様に<義>を世に示す上杉として許されることなのでしょうか?
 これでは現実主義者の信長や拝金主義者の秀吉と同じ。
 前回の領地と引き替えにした交渉まではまだ許容範囲だった。

 しかし今回の対応は?
 第12回で「生き残るために強い方につく。金をくれる方につく」という斎京三郎右衛門(高杉亘)の考えを否定したのは他ならぬ兼続(妻夫木聡)。
 ところが今回は自らが否定したことをやっている。
 これでは斎京三郎右衛門は「言ってることとやってることが違う」と怒るのでは?
 ブレまくりの兼続。
 もうひとつ、金を使って相手を説得するのでは策がなさ過ぎる。
 誰もが思いつかない策を使って事態を打開するのが軍師。
 「謙信公は信玄公の窮地にあり、塩をお送りしたことがございまする」と言って黄金と塩をいっしょに論じたのは単なるレトリックの遊び。
 謙信の場合は<義>の行為だが、兼続の場合は<買収>。

 またまたこの作品で何を描きたいのかわからなくなってきた。
 僕は<義>という理念で人が争い、生き死にするのは嫌いだが、この作品で<義>を描きたいのなら、兼続は斎京三郎右衛門の時の様に<義>で闘ってほしかった。
 黄金を使うにしても別のレトリックで説得してほしかった。
 この辺、原作ではどの様に描かれているんだろう?

 ドラマとしては武田との同盟がなった時の景虎(玉山鉄二)側のリアクションを入れてほしかったですね。
 景虎、華姫、遠山、それぞれのリアクションが違うはず。
 これで自らの運命を覚る景虎。
 兼続を恨む華姫。
 景虎を見限ろうとする遠山など。
 そこがドラマになるはず。
 菊姫(比嘉愛未)との婚儀の話はずっと後でも構わない。

 さてテキストとしてブレブレのこの作品、どこへ行く?


コメント (6)
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金魚屋古書店 芳崎せいむ

2009年04月04日 | コミック・アニメ・特撮
 漫画専門の古書店「金魚屋古書店」。
 そこには様々な<漫画好き>が集まる。

 まずこんなせりふがある。
 「人の身体がたんぱく質やビタミンで出来ている様に人の心は時間と思い出の成分で決まる。だから自分の昔を思い出すことは現在に自分の本当を知ること。自分の心がどんなモノからできあがっているか、そのことを思い出すんですよ」

 自分の心がどんなモノからできあがっているか?
 そう問われた時に思いつくのは何であろう?
 金魚屋古書店に訪れる人にとっては<漫画>。
 彼らは次の様な人達だ。

・昭和30年代の漫画「探偵ビリーパック」にのめり込んで探偵になってしまった男。
・「もーれつア太郎」を読んで、そのハチャメチャぶりに「何でもアリなんだなぁ」と思う真面目すぎる男。
 彼は「こうあらねばならない」「こうあるべきだ」とガチガチにこだわっていた自分を捨てる。
・こんな美大生ふたりもいる。
 杉浦日向子の「百日紅」を読んで自分は画狂人・北斎の様に絵に狂えないと思い絵を捨てる男。逆に絵を描く事以外自分は何も出来ないと思う女。
・単調な生活を送っている主婦もいる。
 彼女は漫画の主人公藤臣君(「千津美と藤臣くん」シリーズ)とは180度違う夫と結婚した経緯を思い出す。そして夫にときめいた瞬間の自分を思い出す。

 百人百様、人には人の数だけ漫画の思い出がある。
 漫画がその人の心を形作っている。
 果たして自分の場合は……?
 そんなことを考えさせてくれる作品だ。

 また金魚屋では店長と常連客とがこんなやりとりをする。
 それは店長が退院した時のこと。
「店長、おひさしぶりですぅ」
「やーキンコちゃん、『三国志』読破した?」
「今、4回目を読んでます」
「店長、これ深大寺の鬼太郎茶屋のみやげです」

 ここには漫画好きが集まり、漫画で人と人とが繋がっているのだ。

 <漫画>は人を作り、人と人とを繋ぐ。
 いいですね、すべての<漫画ファン>に読んでもらいたい作品です。

 芳崎せいむ著 「金魚屋古書店」(小学館 IKKICOMIX刊)


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結婚できない男 再放送

2009年04月03日 | 恋愛ドラマ
 仕事の合間に何気なくテレビをつけたら「結婚できない男」をやっていた。

★桑野信介(阿部寛)の結婚観はこう。
 「妻と子供と家のローンは人生の三大不良債権だ」
 「家事をさせるためなら 家政婦を雇えば済む話だ」
 「独身なら稼いだ金は全部自分のもんだ。
  結婚すれば稼いだ金は妻と子に食いつぶされるだけだ」
 「結婚なんかしたら、親や親戚とのつきあいが単純計算で倍に増える。
  自分の分だけでも面倒なのに」

 見事なせりふ、見事なキャラクター造型。
 この結婚観は結婚している男含めて、世の男たちが抱いている本音でもある。(もちろん奥さんや子供といっしょにいるのが好きで、それが幸せという男性もいるが)

 「結婚できない男」が名作である理由はこの結婚観を提出した所にある。
 いわゆる<フツーのドラマ>は<男女が出会って様々な困難を克服して結ばれる>というのがほとんどですからね。
 よくぞ男の本音を語ってくれたって感じ。

 もっともこの作品、これだけでは恋愛ドラマにならないから信介の次の様な面も描いている。
 すなわち<独りでいることの寂しさ>。
 信介はオタクで実は他人に何かを語りたくてしょうがない。
 帝釈天の話、寅さんのおいちゃんの役者さんの話、花火の話。
 自分と会話のキャッチボールをしてくれる人を求めている。
 しかし信介は無器用さと自分を守るための毒舌ゆえ他人とうまく関わることが出来ない。
 口を開けば他人の怒り、反感を買ってしまう。
 信介が心を開けるのは犬のケンちゃんなのだ。
 そして……もうひとりいるとすれば夏美(夏川結衣)さん。
 彼女は何だかんだ言いながら信介を受け入れてくれる。
 ドッジボールという球の投げ合いではあるが、それを楽しいと思ってくれる。

 この作品は<桑野信介>というキャラクターを二面性で描いたことで成功している。
 すなわち<他人を拒絶する面>と<他人を求める面>。

★それにしても信介は毒舌ですね。以下、信介の毒舌。名セリフ、名言集。

 「平均年収が600万超えるのは40歳過ぎてからだ。1000万の男と結婚したかったらカミさんに先立たれた50男でも探すんだな」

 「チョイ悪オヤジ」という言葉に対して
 「何チョイ悪だ。悪いかいいかどっちかにしろ」

 恋に臆病な自分を車庫から出られない車に例えた夏美に対して
 「……もう錆び付いて動かなくなっているかもな」

 妹の圭子に
 「結婚する時、いくら仕事が忙しくても月に1回は家族でお出かけするって条件をつけたの」と自慢されて
 「日米和親条約なみの不平等条約だな……独身でよかった」

 20歳代の女性との交際を夏美に冷やかされて
 「ま、若い子は素直でかわいいですよ。人が言うことにいちいちチャチャ入れたりしないし。
  あなたも70くらいのじいさんから見ると素直で可愛いのかもしれませんよ」

 ケンちゃんを飼っているみちるに 
 「人間の子供は成長すれば親にこづかいくれるようになるけど、犬は死ぬまで無駄飯を食らい続けるわけだな」

 夏美にストーカー被害に遭っているみちるを助ける様に言われて 
 「アナタは人の世話を焼いていれば、そりゃあ、自分の寂しさがまぎれるからいいかもしれませんけどね。付き合わされるこっちの身にもなってほしい」

 帝釈天で帯留めを買う夏美に
 「着物なんて着るんですか?きまぐれで余計な物買っちゃうタイプですか?観光地だと気が大きくなるんですね?」

 こういう毒舌キャラも今までのドラマにはいなかった。
 最後に極めつけの名セリフ。

 「常識通り生きるなんて誰でもできますよ。
  たとえ常識から外れても自分を貫き通すことに価値があると思いますね」


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週刊少年漫画50周年 記念切手

2009年04月02日 | コミック・アニメ・特撮
 郵便局に行ったら「週刊少年漫画50周年」という切手を売っていて思わず買ってしまった。
 切手は「少年マガジン」と「少年サンデー」の二種類。
 
 「少年マガジン」は80円切手が10枚。
 切手のキャラクターは「8マン」「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」「あしたのジョー」「タイガーマスク」「空手バカ一代」「愛と誠」「釣りキチ三平」「翔んだカップル」。
 「少年サンデー」も同じく80円切手が10枚で、キャラクターは「おそ松くん」「カムイ外伝」「パーマン」「ダメおやじ」「プロゴルファー猿」「まことちゃん」「がんばれ元気」「うる星やつら」「サイボーグ009」「タッチ」。

★こうやって見てみると僕は「マガジン」派ですね。というか梶原一騎ファン。
 「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」「空手バカ一代」「愛と誠」。
 そのどれもに思い入れがある。
 僕は梶原一騎に影響を受けている。
 梶原一騎の思想にどう影響を受けているかは僕自身の頭の中を検証してみる必要があるが、少なくともあの強烈な物語性・ロマンについては忘れられない。
 現在あれだけのロマン・構想力を持った作家はいませんね。
 敢えてあげるとかわぐちかいじ先生、井上雄彦先生、小池一夫先生ぐらいか?

★「ゲゲゲの鬼太郎」は息の長いキャラクターですね。
 「ドラえもん」と共に現在も大人気。
 やはりこの世代の作家のオリジナリティというのはすごい。
 そう言えば「釣りキチ三平」は実写映画化されるんでしたっけ。
 このオリジナリティもすごい。
 何しろ<釣り>をマンガにしてしまうのですから。
 
★これら「マガジン」に比べると「サンデー」はやはりあっさりしてますよね。
 言い方を変えると垢抜けていておしゃれな感じがする。
 これは講談社と小学館の違い?
 このサンデーの作品群で思い入れがあるのは「サイボーグ009」。
 リアル連載で読んだわけではないのですが、コミックスで読んでファンになり初めて本屋さんの取り寄せを利用して手に入れたのが「009」の第6巻だったのを覚えている。
 「うる星やつら」「タッチ」に関しては別の意味での思い出。
 この頃、僕は社会人で「うる星やつら」や「タッチ」のキャラクターグッズを作る会社に勤めていた。
 だからこれらの作品はもはや<仕事>で純粋に楽しめる対象ではなくなっていた。常に数字がつきまとっていた。

★それにしてもこの時代の作家はやはりすごいですね。
 藤子先生A先生、高橋留美子先生、あだち充先生はいまだにトップで筆力が衰えない。
 「がんばれ元気」の小山ゆう先生は「あずみ」。
 「翔んだカップル」の柳沢きみお先生だって「只野仁」でしぶとく生き残っている。
 これらの先生達の創作の秘密とは何なのか確認したい気がします。


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「冬のソナタ」 1・2話ふたたび

2009年04月01日 | テレビドラマ(海外)
 春ですが「冬のソナタ」。

★「冬ソナ」にのめり込めるかどうかは1・2話の<高校時代編>をクリア出来るかに掛かっていると思いません?
 役者さんたちが高校生に見えないのもありますが、作品として何を目指しているのかがわかりづらい。
 「冬ソナ」の本質は3話のイ・ミニョンに出会ってからですから。

 しかしこの1・2話は後に繋がる伏線が張り巡らされているんですね。
・ピアノの曲「初めて」
・ポラリス
・初雪
・雪の影踏み
・確か靴を履かせる行為も
 これらすべてが後のドラマを盛り上げる伏線・小道具になっている。
 日本のドラマでは1・2話で描かれたことが伏線となって後に活きてくるという作劇は少ないですね。
 この点で「冬のソナタ」は見事です。

★「冬ソナ」と言えばペ・ヨンジュンさんですが、僕はやはりチェ・ジウ様です。
 顔立ちとしてはチェリンのパク・ソルミさんの方がきれいだと思いますが、チェ・ジウ様は表情が豊か。
 それが彼女の魅力になっています。
 また日本と韓国、文化の違いからか表情の現れ方が違いますね。
 韓国の方、独特のものがある。
 たとえば有名な塀のシーンで塀を降りられないユジンがジュンサンに「来て降ろして」と手で合図する芝居がある。
 とても可愛らしいが日本人はこういう表情、表現をしない。
 可愛いと言えば、誰もいない昼の放送室でユジンが踊りそれをジュンサンに見られるシーン。
 その時の驚きのユジンの表情がいい。
 感覚としてはマンガですが、やはり韓国の方独特の表情。
 このシーンではジュンサンの表情もそうでしたね。
 ユジンの踊りを見てはにかむ様に微笑む。
 この表情は日本の俳優さんではなかなか出来ません。
 「冬ソナ」の魅力は物語だけでなく何気ない役者さんの表情にもある気がします。

★あとこの作品は吹き替え版ではなく原語版(韓国語)で見たいですね。
 韓国語独特のイントネーションも楽しめるし、時々聞こえてくる日本語との共通単語が心地いい。
 韓国語は日本語と言語の構造が同じだから何か親近感がある。(日本語・韓国語は主語+目的語+動詞で動詞が最後に来る。ちなみに英語・中国語は主語+動詞+目的語)
 また翻訳版は結構スカスカ。
 伝えている内容は同じなのですが原語版(韓国語)の方は結構言葉が詰まっている。
 だから会話のテンポが違う。
 原語版の方ではいいテンポで言葉のキャッチボールがなされているのに日本語ではスローに聞こえる。
 だから原語版がお薦めです。

※追記
 再びユジンが放送室で踊るシーンについて。
 以前so-netで見た時はアバの「ダンシングクイーン」が使われていたと記憶していたのだが、NHKのDVD版では別の楽曲。
 でも画面でユジンが持っているレコードジャケットは「アバ」。
 これはどういうことか?
 おそらくNHK版ではアバの楽曲使用料を払えなくて別の楽曲の楽曲に差し替えたんでしょうね。
 これもドラマのひとつの楽しみ方!

※追記
 2話で出て来るユジンの妹ヒジン。
 「お姉ちゃんは子供の頃ブスだったのよ」とジュンサンにアルバムを見せるが、10年後、第3話でユジンの婚約式に出ていたヒジンはあまりきれいでない。
 これもドラマのひとつの楽しみ方!


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