1月5日 火曜日 晴れ
夜中に雨が降ったようですが、陽が昇る頃は良いお天気になっていました。
弟が迎えに来てくれ母が大森の家に帰ることになっていましたが、迎えの時間の知らせが来ません。
夕食後電話で問い合わせをしましたら、なんと弟は迎えその事自体を忘れていたのです。
どちらにしても新年の最初の仕事日ですから朝礼をするので、7時には迎えに来ると言います。
側でわたしと弟の会話を聞いていました母がどんどんご機嫌斜めになってしまったのです。
母は不機嫌になりますし、わたしはそれからが大忙しになってしまいました。
母の荷物をまとめたり、持っていきたいというわたしの煮物や酢物を瓶に詰めたり、
明日の朝食用のご飯もセットしなくてはいけないし・・・。
一番困ったのは明日は絶対朝寝をしてはいけないのですから、酷く緊張してしまいました。
わたしは目覚まし時計で起きるのが苦手です。使ったことがありません。
母の出掛ける仕度を完了して、ベットに入れたのが12時を回っていました。
それなのになんと3時25分に目覚め、もう眠れないのです。
仕方がないので、起きあがりお風呂に入ったり、ストレッチをしたりしていました。
母を6時に起こす約束でしたがその時にはわたし自身の身繕いはすっかり完了していました。
弟が予定の時間にやって来ましたが、母は口も聞かずぷーっと口のまわりを膨らませています。
「このご時世でお父さんの会社を廻していくのは大変なのだから・・・」と何度も諭しても駄目でしたね。
母は大森の家から東村山に住む母の妹の家に向かう事になっていました。
今度は叔母が母に振り回されているかとお思いますとちょっと気の毒に思いますね・・・。
母の姿を見ていますと将来のわたしの姿と重なり、辛くなることが良くあります。
母の嫌な言動を少し斜めに見て居る今のわたし、20年後にはわたしを見る私の娘に・・・?
そんな絵を想像てしまいますと、とっても辛くなってきます。
生きていくのも嫌になってしまいます。どうして母はこんな言い方をするのかしら?
どうして「これはわたしが悪かった」と認めないのかしら?
好んで富士宮での独り生活をしているのに「この歳になって誰も住んでくれない」と不満げな母の弁。
わたしは、はhの言動のどれもこれもが無性に辛くなってくる時があります。
わたしの方が母より先に身体が壊れてしまうのではないかしら、と思うことも度々あります。
娘としてどこまでも母を大切に思うのですが、どの程度まで自分を犠牲にして尽くせるのか・・・。
わたしは母の娘ですが同時に娘たちの母親なのです。
「全て繰り返しで回っていくもの」と言いますが、この状態で繰り返すのは嫌だと思うのです。
今の母の状態になる前に、施設に入りプロのお世話になるべきと思うのですが、その判断を何時するのか。
そんなことを考えては気持ちが落ち込み、あるじの急逝を恨めしく思ってしまいます。
失格ですね。
本当に、母親って、何でしょうね。どうしたら良いのでしょうね。
夜中に雨が降ったようですが、陽が昇る頃は良いお天気になっていました。
弟が迎えに来てくれ母が大森の家に帰ることになっていましたが、迎えの時間の知らせが来ません。
夕食後電話で問い合わせをしましたら、なんと弟は迎えその事自体を忘れていたのです。
どちらにしても新年の最初の仕事日ですから朝礼をするので、7時には迎えに来ると言います。
側でわたしと弟の会話を聞いていました母がどんどんご機嫌斜めになってしまったのです。
母は不機嫌になりますし、わたしはそれからが大忙しになってしまいました。
母の荷物をまとめたり、持っていきたいというわたしの煮物や酢物を瓶に詰めたり、
明日の朝食用のご飯もセットしなくてはいけないし・・・。
一番困ったのは明日は絶対朝寝をしてはいけないのですから、酷く緊張してしまいました。
わたしは目覚まし時計で起きるのが苦手です。使ったことがありません。
母の出掛ける仕度を完了して、ベットに入れたのが12時を回っていました。
それなのになんと3時25分に目覚め、もう眠れないのです。
仕方がないので、起きあがりお風呂に入ったり、ストレッチをしたりしていました。
母を6時に起こす約束でしたがその時にはわたし自身の身繕いはすっかり完了していました。
弟が予定の時間にやって来ましたが、母は口も聞かずぷーっと口のまわりを膨らませています。
「このご時世でお父さんの会社を廻していくのは大変なのだから・・・」と何度も諭しても駄目でしたね。
母は大森の家から東村山に住む母の妹の家に向かう事になっていました。
今度は叔母が母に振り回されているかとお思いますとちょっと気の毒に思いますね・・・。
母の姿を見ていますと将来のわたしの姿と重なり、辛くなることが良くあります。
母の嫌な言動を少し斜めに見て居る今のわたし、20年後にはわたしを見る私の娘に・・・?
そんな絵を想像てしまいますと、とっても辛くなってきます。
生きていくのも嫌になってしまいます。どうして母はこんな言い方をするのかしら?
どうして「これはわたしが悪かった」と認めないのかしら?
好んで富士宮での独り生活をしているのに「この歳になって誰も住んでくれない」と不満げな母の弁。
わたしは、はhの言動のどれもこれもが無性に辛くなってくる時があります。
わたしの方が母より先に身体が壊れてしまうのではないかしら、と思うことも度々あります。
娘としてどこまでも母を大切に思うのですが、どの程度まで自分を犠牲にして尽くせるのか・・・。
わたしは母の娘ですが同時に娘たちの母親なのです。
「全て繰り返しで回っていくもの」と言いますが、この状態で繰り返すのは嫌だと思うのです。
今の母の状態になる前に、施設に入りプロのお世話になるべきと思うのですが、その判断を何時するのか。
そんなことを考えては気持ちが落ち込み、あるじの急逝を恨めしく思ってしまいます。
失格ですね。
本当に、母親って、何でしょうね。どうしたら良いのでしょうね。