2月8日 月曜日 快晴
今日も素晴らしいお天気でした。
母は今日から大森の自分の家にいくことになっていました。その為に弟が早朝、7時に迎えに来ました。
月曜日ですので朝礼があるのだそうで、遅れるわけにはいかないからとか・・・。
いつものように朝食用のおにぎりと、買い置きの漬物やわたしの常備菜そして飲み物も持っていきました。
母のベットのシーツなどを取り外して、6時半頃からお洗濯をしましたので11時には乾きましたので、
カルチャーに行く前にベットを作って行かれました。これでまた何時母がやって来ても大丈夫です。
洗濯物が乾く間、身体が重く眠気も来ていましたので、ベットで横になりました。少しだけ眠ったようです。
ちょっと眠ったお陰で徒然草の講座中に眠気は全く来ませんでした。
先生とお茶をしてから針と気功の治療に行ってきました。
この所頭が痛く、目眩も出ていますし同時に胸が息苦しくなることが度々ありましたので・・・。
それでも、母が逗留中ですと気になって治療にはなりませんから諦めていました。
鍼の先生曰く「過敏」なのだそうです。アバウトですし、決してそんなに過敏では無いのです。
そうわたしが言いましたら「身体が鋭敏なのです」とのこと。わたしには理解出来ません。
でも嬉しいことに「芸術家に多いのですよ」と言われてちょっと嬉しくなったりして・・・。
芸術家でもないのに喜ぶ要素は無いのですが、それでも悪い気はしませんよね。「芸術家」というのですから。
鍼治療へ行く前に、電話が入り弟がわたしの家に向かっている事を知らせてきました。
わたしが居なくても用が足りたのですが、次女がたまたま家に居ましたのでわたしの家に行ってもらいました。
田子の釜揚げしらすをわたしと娘たちに持って来ながら、庭園灯の修理をしようと思ったのだそうです。
久しぶりに娘はわたしの弟と会ったようです。そして初めて弟から昔話を聞いたのだそうです。
ずっと昔、私たちが子供の頃の思い出話だったようです。
厳しい父親と気まぐれで我が儘な母親でしたから、それなりにキツイ思いをしていました。
大学生の頃、一緒に歩いているところを友人に見られ「恋人」と歩いていたと騒がれたりもしました。
当時弟にわたしがアロハシャツを作ってあげ、彼も喜んで来てくれていました。
結構、仲の良い姉弟だったのですね。
当時は一緒に行動するのが当たり前でしたし、弟の学友が始終、お酒を飲んだり泊まっていったりしていました。
わたしは彼らの食事係でした・・・。とんでもない古い懐かしいことを思い出しました。
その弟が今朝母を大森まで送っていく途中、母と大もめにもめたとか。
母の我が儘に弟がもろにぶつかってしまったようです。わたしはなんとか我慢出来ていましたのに・・・。
これからは相手にしないようにすると弟が次女に話したようです。我慢も限界があるものです・・・。
今日も素晴らしいお天気でした。
母は今日から大森の自分の家にいくことになっていました。その為に弟が早朝、7時に迎えに来ました。
月曜日ですので朝礼があるのだそうで、遅れるわけにはいかないからとか・・・。
いつものように朝食用のおにぎりと、買い置きの漬物やわたしの常備菜そして飲み物も持っていきました。
母のベットのシーツなどを取り外して、6時半頃からお洗濯をしましたので11時には乾きましたので、
カルチャーに行く前にベットを作って行かれました。これでまた何時母がやって来ても大丈夫です。
洗濯物が乾く間、身体が重く眠気も来ていましたので、ベットで横になりました。少しだけ眠ったようです。
ちょっと眠ったお陰で徒然草の講座中に眠気は全く来ませんでした。
先生とお茶をしてから針と気功の治療に行ってきました。
この所頭が痛く、目眩も出ていますし同時に胸が息苦しくなることが度々ありましたので・・・。
それでも、母が逗留中ですと気になって治療にはなりませんから諦めていました。
鍼の先生曰く「過敏」なのだそうです。アバウトですし、決してそんなに過敏では無いのです。
そうわたしが言いましたら「身体が鋭敏なのです」とのこと。わたしには理解出来ません。
でも嬉しいことに「芸術家に多いのですよ」と言われてちょっと嬉しくなったりして・・・。
芸術家でもないのに喜ぶ要素は無いのですが、それでも悪い気はしませんよね。「芸術家」というのですから。
鍼治療へ行く前に、電話が入り弟がわたしの家に向かっている事を知らせてきました。
わたしが居なくても用が足りたのですが、次女がたまたま家に居ましたのでわたしの家に行ってもらいました。
田子の釜揚げしらすをわたしと娘たちに持って来ながら、庭園灯の修理をしようと思ったのだそうです。
久しぶりに娘はわたしの弟と会ったようです。そして初めて弟から昔話を聞いたのだそうです。
ずっと昔、私たちが子供の頃の思い出話だったようです。
厳しい父親と気まぐれで我が儘な母親でしたから、それなりにキツイ思いをしていました。
大学生の頃、一緒に歩いているところを友人に見られ「恋人」と歩いていたと騒がれたりもしました。
当時弟にわたしがアロハシャツを作ってあげ、彼も喜んで来てくれていました。
結構、仲の良い姉弟だったのですね。
当時は一緒に行動するのが当たり前でしたし、弟の学友が始終、お酒を飲んだり泊まっていったりしていました。
わたしは彼らの食事係でした・・・。とんでもない古い懐かしいことを思い出しました。
その弟が今朝母を大森まで送っていく途中、母と大もめにもめたとか。
母の我が儘に弟がもろにぶつかってしまったようです。わたしはなんとか我慢出来ていましたのに・・・。
これからは相手にしないようにすると弟が次女に話したようです。我慢も限界があるものです・・・。