12月26日 日曜日 晴れ
眼が覚めた時びっくりしました。廻りが明るいのです。なんと7時半でした。
こんなに朝寝をしたのは本当に久しぶりです。
朝方4時頃に目覚めたのですが、そのまままた眠ってしまいました。2度寝をしてしまったのです。
今日の予定は何かをベットで横になりながら考えている内に寝入ってしまったようです。
半分眠気がある頭で、予定が何もないことに気がついたので気が緩んでしまったのでしょうね。
それにしても7時半とは・・・。すっかり太陽が上がっていました。まぶしかったです。
本当は庭の落ち葉を掃いて明日の燃えるゴミの時に出したかったのですが、それどころでは有りません。
最低、明日やって来ます母の受け入れ態勢を完璧にしておかなくてはいけません。
寒がりですから羽毛布団も2枚重ねにして、シーツもボアの物に変えました。
掃除機を掛けてから、フローリングの床では寒そうですから、カーペットを敷きました。
テレビとエヤコンのチェックをしてまずは終了。
明日次女に頼んでわたしのマッサージ器を母の泊まる部屋に運んで貰います。
もう一つ大変な仕事は、母を迎えるためには冷蔵庫と冷凍庫を片付けることです。
母は自分の冷蔵庫の中身を全部持ってきますから、その収納場所を用意しないと駄目なのです。
もう痛みかかっているような物でも、全て持ってきますからそれこそ大変です。
最近は電気釜もお鍋も持ってきてしまいます。中身を出して持ってくるより早いというのです。
母は運ぶことはせず、号令を掛けていればよいのです。運ぶ身になりますとこれは大変です。
電気釜もわが家へ運び入れてから、大森の母の家に運ばれ、富士宮の家に持ち帰ります。
富士宮へ帰る前に、母の妹の家に数泊し最後にわたしの兄、母にとっては息子の家に1泊するのです。
兄が母を富士宮に送っていきます。その間、電気釜もずっとお供について行くのですから凄いです。
「民俗の大移動」とわたしが言いまして叱られましたが、まさに移住民のようです。
衣類も大きなバックに入れたり、風呂敷き包みにしたりして持ち歩きます。
母は自分の体を動かすのも不自由になっていますから、荷物の運搬係は大変なのです。
明日から、わが家の主は母になります。わたしはまさにお手伝いさんになります。
こんな風に愚痴っていることが、母が逝ってしまいましたら懐かしく思い出されるのでしょうね。
こんなに存在感のある人は珍しいですから、その後遺症はあるじ以上になるのかも知れません。
毎日朝晩電話をしなくてはいけない母が逝ってしまいますと、どんなに淋しくなるか・・・。辛いですね。
眼が覚めた時びっくりしました。廻りが明るいのです。なんと7時半でした。
こんなに朝寝をしたのは本当に久しぶりです。
朝方4時頃に目覚めたのですが、そのまままた眠ってしまいました。2度寝をしてしまったのです。
今日の予定は何かをベットで横になりながら考えている内に寝入ってしまったようです。
半分眠気がある頭で、予定が何もないことに気がついたので気が緩んでしまったのでしょうね。
それにしても7時半とは・・・。すっかり太陽が上がっていました。まぶしかったです。
本当は庭の落ち葉を掃いて明日の燃えるゴミの時に出したかったのですが、それどころでは有りません。
最低、明日やって来ます母の受け入れ態勢を完璧にしておかなくてはいけません。
寒がりですから羽毛布団も2枚重ねにして、シーツもボアの物に変えました。
掃除機を掛けてから、フローリングの床では寒そうですから、カーペットを敷きました。
テレビとエヤコンのチェックをしてまずは終了。
明日次女に頼んでわたしのマッサージ器を母の泊まる部屋に運んで貰います。
もう一つ大変な仕事は、母を迎えるためには冷蔵庫と冷凍庫を片付けることです。
母は自分の冷蔵庫の中身を全部持ってきますから、その収納場所を用意しないと駄目なのです。
もう痛みかかっているような物でも、全て持ってきますからそれこそ大変です。
最近は電気釜もお鍋も持ってきてしまいます。中身を出して持ってくるより早いというのです。
母は運ぶことはせず、号令を掛けていればよいのです。運ぶ身になりますとこれは大変です。
電気釜もわが家へ運び入れてから、大森の母の家に運ばれ、富士宮の家に持ち帰ります。
富士宮へ帰る前に、母の妹の家に数泊し最後にわたしの兄、母にとっては息子の家に1泊するのです。
兄が母を富士宮に送っていきます。その間、電気釜もずっとお供について行くのですから凄いです。
「民俗の大移動」とわたしが言いまして叱られましたが、まさに移住民のようです。
衣類も大きなバックに入れたり、風呂敷き包みにしたりして持ち歩きます。
母は自分の体を動かすのも不自由になっていますから、荷物の運搬係は大変なのです。
明日から、わが家の主は母になります。わたしはまさにお手伝いさんになります。
こんな風に愚痴っていることが、母が逝ってしまいましたら懐かしく思い出されるのでしょうね。
こんなに存在感のある人は珍しいですから、その後遺症はあるじ以上になるのかも知れません。
毎日朝晩電話をしなくてはいけない母が逝ってしまいますと、どんなに淋しくなるか・・・。辛いですね。