今日こそ、ウソつきを完成させたい、その一心で食堂のテーブルを使いやすい様に移動させ、
朝の家事仕事の後直ぐ作業開始。
無双袖が作れなかったのは、長い事”眺めて居ただけ”が原因と解り、深く反省してます。
小学生の頃から運針が苦手で、何時も近所に住む男子がわたしの替わりに運針の宿題をして、
替わりにわたしが彼の算数の宿題をしていた、と言うほど針仕事は苦手でした。
そんなわたしが、大学に入ってから8泊9日の合宿参加するには、何枚か着替えが必要になり、
肩幅が狭いわたしに合う洋服が少なく、伯母が作った物やプロの方が仕立てた物を着ていました。
そんな状態ですから、合宿に持って行かれる洋服の数は少ししか無かったのです。
それでわたしが縫い物を始め、今では楽しみになっているのですから何とも不思議です。
「徹子の部屋」を見ながら作業をしていたのですが、出演していた女優さんの言葉が印象的でした。
”自分流に生きる”、”好きに生きる”、”何も出来ない状態で生きているのは辛い”等々、
全て同感することばかり。
どのような環境に直面するか解らないのだから、今は不要でもその時必要になるかもしれないので、
使い慣れた物を処分せず、”何でも身の廻りに置いて置く”のだとも…。
手を動かしながら、耳は女優さんの言葉をしっかり聞いていました。
同感です。わたしも”終活”という大義名分で”処分”をするのは気が重く、なかなか出来ずにいます。
多少、終活を心がけていますが、それは自分の物を処分すると言うより、整理が先だと思っています。
衣類などは、ランク分けをしておけば、いつでも処分は出来ますから。
不要の布地や洋服、和服などは、出来る範囲で再生したいと思っています。
戦後の物の無い時代を経験していますから、”こんな風にすれば使える”、その見本を残して置きたい。
その一念と、わたしの好奇心が合体して、今では生き甲斐になっています。
やっと”ウソつき”を何とか形にすることが出来ました。
”ウソつき”と言う言葉は昔から有ったようで、同じ布で作る長襦袢を、袖と蹴だしが同じ布で、
身頃はサラシなどの違う布を使った襦袢をそう言っていたようです。
ちなみに、完成した”ウソつき”は、わたしが大学の卒業する時に着た振り袖の長襦袢の再生品です。
振り袖の長襦袢は普通の袖丈の襦袢に直し、外出着として着て、その後普段着に着ていた物です。
裾や脇が切れたので処分する事も考えたのですが、解いて洗濯し”ウソつき”への再生にチャレンジ。
再生したウソつき
染めも変色していますが、この様に手を加えれば着られると言う事を、実証してみたかった…。
最も和裁を全く知らないわたしの縫い方ですから、知識の有る人には見せられる物では有りません。
いい加減な縫い方の”ウソつき”でも、着ている本人は想い出一杯を身に付けられるので、幸せです。
それにかなり苦労しましたが、なんとか完成出来ただけで大満足です。
よそ行きの長襦袢を普段着にして、処分するしか無いものがまだ有りますから、再度挑戦してみます。
朝の家事仕事の後直ぐ作業開始。
無双袖が作れなかったのは、長い事”眺めて居ただけ”が原因と解り、深く反省してます。
小学生の頃から運針が苦手で、何時も近所に住む男子がわたしの替わりに運針の宿題をして、
替わりにわたしが彼の算数の宿題をしていた、と言うほど針仕事は苦手でした。
そんなわたしが、大学に入ってから8泊9日の合宿参加するには、何枚か着替えが必要になり、
肩幅が狭いわたしに合う洋服が少なく、伯母が作った物やプロの方が仕立てた物を着ていました。
そんな状態ですから、合宿に持って行かれる洋服の数は少ししか無かったのです。
それでわたしが縫い物を始め、今では楽しみになっているのですから何とも不思議です。
「徹子の部屋」を見ながら作業をしていたのですが、出演していた女優さんの言葉が印象的でした。
”自分流に生きる”、”好きに生きる”、”何も出来ない状態で生きているのは辛い”等々、
全て同感することばかり。
どのような環境に直面するか解らないのだから、今は不要でもその時必要になるかもしれないので、
使い慣れた物を処分せず、”何でも身の廻りに置いて置く”のだとも…。
手を動かしながら、耳は女優さんの言葉をしっかり聞いていました。
同感です。わたしも”終活”という大義名分で”処分”をするのは気が重く、なかなか出来ずにいます。
多少、終活を心がけていますが、それは自分の物を処分すると言うより、整理が先だと思っています。
衣類などは、ランク分けをしておけば、いつでも処分は出来ますから。
不要の布地や洋服、和服などは、出来る範囲で再生したいと思っています。
戦後の物の無い時代を経験していますから、”こんな風にすれば使える”、その見本を残して置きたい。
その一念と、わたしの好奇心が合体して、今では生き甲斐になっています。
やっと”ウソつき”を何とか形にすることが出来ました。
”ウソつき”と言う言葉は昔から有ったようで、同じ布で作る長襦袢を、袖と蹴だしが同じ布で、
身頃はサラシなどの違う布を使った襦袢をそう言っていたようです。
ちなみに、完成した”ウソつき”は、わたしが大学の卒業する時に着た振り袖の長襦袢の再生品です。
振り袖の長襦袢は普通の袖丈の襦袢に直し、外出着として着て、その後普段着に着ていた物です。
裾や脇が切れたので処分する事も考えたのですが、解いて洗濯し”ウソつき”への再生にチャレンジ。
再生したウソつき
染めも変色していますが、この様に手を加えれば着られると言う事を、実証してみたかった…。
最も和裁を全く知らないわたしの縫い方ですから、知識の有る人には見せられる物では有りません。
いい加減な縫い方の”ウソつき”でも、着ている本人は想い出一杯を身に付けられるので、幸せです。
それにかなり苦労しましたが、なんとか完成出来ただけで大満足です。
よそ行きの長襦袢を普段着にして、処分するしか無いものがまだ有りますから、再度挑戦してみます。