10月18日、大切な友人の祥月命日。7年前の事です。彼女の身体が癌に侵されていることが解り、そのことをわたしに伝えた時の彼女の様子を今でもはっきり覚えています。驚くほど毅然としていました。
それから、色々な所に転移をし、ずっと治療を受けながらきっちり仕事をなさり妻として母としても手抜きをしない方でした。すべてに完璧でした。
わたしの夫が亡くなった時、納棺にもおいで下さいましたし、何も食べていないのデハ?と言い、”美味しいお握りやさんのお握りを買って行くわね”と、持って来てくださったり…。
彼女が癌になったことを知ってから、”死”に関しての本をいろいろ読みました。癌に侵されてから26年間、治療しながら明るく知的に過ごされて居られました。見たい映画がある時は、映画館の場所、時間など調べてから、わたしに連絡がありました。彼女が行かれる日を示して、”あなたの都合の良い日は?”と聞かれまますので、わたしの返事で決定です。
30年前の当時、”癌は治らない”と言うイメージで受け取っていましたので、少しでも一緒に…、の思いが強かったです。亡くなられる3日前にわたし宛てにハガキを書いておられ、その翌日の消印がありました。そしてわたしがそのハガキを読んだ時は、すでに亡くなられておられたのです。そのハガキには”季節が変わりますから、ご自愛ください”と書かれていました。
読みながら、涙が止まりませんでした。後で知ったのですが、彼女は最後の一週間は緩和治療を受けておられたそうです。彼女のハガキは、彼女のコーナーを作って洋間に飾っています。あちこち一緒に出かけましたが、写真は撮っていません。彼女も”一緒に写して貰わない?”と言いませんし、わたしも”写真写さない?”とは言いませんでした。
3回忌の後、連絡を遠慮させていただくことをご主人様にお手紙をかきました。必ずご丁寧なお返事を頂きますので申し訳ないと思いました。お墓が長野県ですので、一度お参りに行っただけです。最寄駅からの足の便が悪いことも有り、心の中で思うだけにしています。
今日は朝から、彼女の事を思い出しながら、部屋を糸くずだらけにして、先日解いた母のウールの着物を洗い竿に干し、アイロンを掛けました。やっと終活作業開始になりそうです。充実した良い一日になりました。感謝です。