暖かくなるとの予報でしたが、確かにこの数日間は暖かかったです。
先日、丈が伸びてしまった蕗の薹を収穫して、長くなった茎は茎で調理をし、
開き始めた蕗の薹は其れだけで、例年通りの蕗味噌の作り方で調理しました。
蕗の薹を覆っていてました柔らかい葉の様な部分も、蕗味噌と同じように調理してみました。
蕗味噌もねぎ味噌も、お豆腐との相性が良いので、冷蔵庫には常備しています。
蕗味噌もねぎ味噌も、暖かいご飯と一緒で美味しく、野菜炒めに仕上げに加えると美味しくなります。
我が家の飲み客の方は、キュ―リやキャベツを、蕗味噌で食べながら、アルコール類を飲ん居ました。
”美味しい”と、喜んで下さいました。
数種類のお味噌を、それぞれにお出しして、蒟蒻とお豆腐の田楽なども、好評でした。
色々な甘味噌を作るたびに、夫と夫の友人たちが、楽しそうにしていた景色を思い出します。
お酒を飲んだ方たちの何人かは、帰るのが面倒になり”どこでも良いから泊まりたい”と、言い出す始末。
当時はグランドピアノが有りましたので、”ピアノの下でも良い”と言い出したり……。
其の為に、今でも客布団が数組戸棚に入っています。そろそろ、処分しないと、です。
夫の友人たちでしたら、わたしも楽しめたのですが、時々夫の仕事がらみの方も御出でになりました。
当時は、時々交通機関のストライキが有りましたので、工期が有りますから仕事は休めません。
それで、夫の現場の方々と一緒に帰宅し、その方々は我が家で一泊なさるのです。
夕食の後お風呂に入り、我が家の和室で宿泊。一番大変だったのは、翌朝です。
朝食だけなら良いのですが、建築関係の現場です。
当時は”ホカベン”も”コンビニ”も在りませんでしたから、人数分のお弁当を作らないとです。
お鍋とお釜を使ってご飯を炊き、お弁当を作ってから、再度、お米を研ぎご飯を炊きました。
そんな時様に、干しシイタケと真空パックの筍を常備し、煮物を炊き、冷凍庫にはシュウマイや、
ミニバーグなど作り冷凍していました。
中学生の娘たちは戸惑っていましたが、皆さん、我が家での一泊を楽しんで居られました。
わたしはきりきり舞い、当時は大忙しで大変でしたが、平和な幸せな時代でした…。
ただ、中学生だった娘たちは、知らないおじさんたちが、我が家でウロウロするのですから、
かなり戸惑っていました。
今ではとても考えられない事、わたしも若かったから出来た事。懐かしいです。