フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

3月25日(土曜日) 毎木曜日の長女訪問に感謝です。

2023-03-25 19:05:23 | 老人一人暮らし

今日は、父の月命日です。
もう少し近ければお墓参りに行きくのですが、両親は富士宮の霊園で眠っています。  
富士山が大好き、富士宮も大好き、の両親が決めました。”

母は、わたしと妹にも勧め、”亡くなっても一緒”を望んでいたよう。わたしは反対でした。
横浜からも大森から富士宮は、遠すぎると判断していました。
両親のお墓も、大森近辺にする様薦めましたが、却下。非常に不機嫌に…。

暫くして、妹もわたしたちも富士宮の霊園を買うことになりました。母はご機嫌でした。
25年前に父が亡くなり、墓誌を立て埋葬しました。

そして、16年前に夫が急逝。
両親と同じように埋葬しましたが、やはり”遠すぎる”との意見で、一年祭に戸塚の霊園に改装。

 

母一人の富士宮生活でしたので、お掃除や買い物、医院等々、月に数回、母を訪ねていました。
わたし的には、夫のお墓参りが出来ますから、良い事も有りましたが、東名高速を走り、
母の家のお掃除、買い物に行き、母を医院へ連れて行ったり、美容院行きもあります。

それを日帰りでする様、妹から指示が出ていましたので、厳しかったです。
”泊まり掛けを習慣にすると、日帰りできなくなる”が妹の意見でしたが、わたしは大変でした。

まだ60代後半から70代でしたので、頑張れたのでしょうね。時々、当時の事を想い出します。
男兄弟は、スーパーで買った品物を玄関に置き、そのまま東京へ戻っていたそうですが、
流石にわたしは其れは出来ません。

冷蔵庫の整理をしてから、買い物に行きますので、買った物を所定の場所に収めましたし、
母が夕食に…と言っていた食材で料理をしてから、帰宅していました。
母は、95歳になる少し前に亡くなりましたが、独り生活は厳しかったのでは?と思ってます。

気丈な母は、富士宮を引き払う事は断固却下しておりましたが、体力的には厳しかったはず。
わたしはもうすぐ83歳になるのですが、時々”大変”と思うことがあります。
そんな時、決して泣き言を言わなかった母は”凄い”と、今さらながら思い知らされます。
わたしにはそれだけの強さは無いです。

一昨日は木曜日、長女がやって来る日。一緒におしゃべりしながら昼食を楽しみ、
その後、カメさんの水槽を洗い、買い物に行かなかったから…と言い、掃除機を掛けていました。
此の処、フラフラが酷いので助かりました。嬉しかったです。長女に感謝です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする