フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

あるじへのつぶやき (12月号)

2007-12-03 21:31:18 | 雑記 「趣味のおたより」から
 一年経ちましたね。
私には辛い一年でした。
何が、どうして、こうなったのか、全く理解できず。

でもあなたは居ない、この現実を認めなくてはならないことを
意識では解っていますのに、私のどこかで理解できずにいて、
それが私を苦しめています。  

とにかく今まで一人になったことがない私でしたし、
小さい頃から「女三界に家なし」と父親に言われ続けて育った私です。

もちろんその言葉の意味は全く解らず、父親に質問出来ましたのは
小学生の二、三年生の頃だったと思います。
「三界」等という言葉を幼い娘に言い聞かせる親も親でしたね。
 
でもそん風にして大人になりましたから、ある面でとても従順だったのでしょうね。
それを上手に使ってあなたは私をリードしていたのでしょう?
 
とにかく父にはずっと「でも」とか「だって」と言う、
言い訳に繋がる言葉は厳禁でした。
それをあなたは知っていましたよね。

もともと自己主張が強いあなたでしたから、
あなたには都合が良かったのでしょう?
今頃気が付いて、ちょっと口惜しい思いをしていますが遅すぎましたね。
 
あなたとの40年あまりの生活は、大変でしたが充実していました。
わたし一人これから、どうしたら良いのか全く先が見えないのです。
なんとかしないと・・・。
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娘家族全員でお墓参りをし、あるじを忍び食事会をしました。

2007-12-02 22:20:39 | 日記
12月2日 晴れ

去年、あるじは今日の夜中まで元気でした。
どうしても納得できないと言いながらも、逝ってしまって一年になります。
なんとか私も前を向いて歩こうと頑張っています。

以前から一番大事な物は「自由になる時間と健康」と言い続けていましたから、
あるじは私に時間をプレゼントするために逝ってしまったのかしら、
と、ふと思うことがあります。

もしそうだとしましたらそれはあるじの勘違い、私の言葉足らずです。
とても手のかかる人でしたが、私には良い「人生の相棒」でした。
夫婦と言うより友達みたいな、学生気分が抜けきれない私たちでした。

好奇心旺盛な私をそのまま受け入れてくれた人です。
ポピュラーピアノを習うときなど、お教室を一緒に見に行ってくれたのです。
あるじは「彼女の父兄です」と言ったりして、恥ずかしかったことを思い出します。

銀座の松屋の裏手のお教室でしたから、時にはあるじとランチをしたり、
娘達が居ないときは一緒に夕食をしたり、映画に行ったり・・・。
この所そんなことを断片的に思い出して、ちょっとナイーブになってます。

今日は二人の娘達家族とお墓参りをしてから、食事に行きました。
本当は全員でしたら10人だったのですが、今は9人。
元気に明るく食事をする孫達を、一番見たかったのはあるじだったと思うのです。

そんなことが脳裏をよぎってしまいますと涙っぽくなってしまう私ですが、
孫達のためには明るくしていないといけません。
頑張ってあまり飲めないのですが、紹興酒を飲んでいました。

私にしては随分飲みました。
頭がフラフラするような、気持ちが良いとは云えませんでしたが、
あるじの代わりに私が飲んでいるような気持ちになり、何となく満たされていました。

娘達全員、我が家に一緒に来て、ゆっくりお茶をして行ってくれました。
私が寂しくならないように気を遣っていたのでしょう。
有り難いです。恵まれています。

娘達が帰ってから去年と同じように弘前の先輩にお電話をしました。
今日が先輩のお誕生日です。
昨年はあるじと一緒にお祝いのお電話をしていましたのに、・・・ネ。


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あるじの事が走馬燈のように思い出されて、ちょっと辛い日でした。

2007-12-01 23:16:18 | 日記
12月1日 晴れ

忙しい日でした。
でも久しぶりの良いお天気が、私の気持ちを軽やかにさせてくれました。

まず今日は朔日ですから、御霊舎の御神酒や榊などみな新しくします。
お花も今は沢山飾ってありますのでこれも一仕事。
でも御霊舎の事の前に、部屋を綺麗にしたくてお掃除をしました。

9時25分、ヨガの先生をお迎えしながらヨガ教室へ。
12時少し前に帰宅。
12時45分、パソコン教室に出かけ(会計を仰せつかっています)、
少し早めに帰宅。3時過ぎていました。

3時半には家をでてあるじの「麻布山岳部」の会に伺う事になっていました。
四谷ですから、気分的には遠いし、挨拶をすることになるのでは、と
これも気が重い事でした。

どなたかの奥様が大抵出席なさっておられるのでしたが、
今日は不運にもどなたも御出になりませんでした。
男子校ですから仕方がないのですが、女性は私一人でした。

あるじが去年、この会でどんなにテンション高くはしゃいでいましたか、
皆様が話して下さいました。
帰宅してからもテンションは高かったです。

楽しかったのでしょうね。
もしかしたら、あるじにとってこれが最後の会だったことを
本能が知っていたのかしら・・・、ふと、そう思いました。

時々、あるじは自分自身長く生きていられないと、
予知していたのでは?と思うことが多々あるのです。
思い出しては、どうして気が付かなかったのだろうかと、悔いるばかりです。

でもどんなに悔いてもあるじはもう居ないのです。
自分で生きる力を早く持たないといけないと解っているのですが、
なかなか難しいことです。

7時半にお開きになりましたので、2次会へのお誘いを戴きましたがお断りし、
一人になったとたん、明るく振るまう事の必要なくなり、
反動で辛くなりました。
ずっとあるじの事を思いながら、電車に揺られていました。
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