<a href=" http://www.dalailamajapanese.com/live"> 2020年10月2日から4日までの3日間、ダライ・ラマ法王が「中華民國」のグループのリクエストにより、ジェ・ツォンカパの『了義未了義善説心髄』(tangnye lekshey nyingpo)とチャンドラキールティの『入中論』(uma ju . . . 本文を読む
史料綜覧「正応五年1292十月五日、幕府諸国に令して敵国降伏の祈を行はしむ」天皇は伏見天皇。鎌倉幕府は久明親王、執権は北条貞時。(以下ウキぺデア・宸翰英華等に依ります。)弘安四年(1281)に弘安の役が終わったのちも、弘安五年1282には、クビライは日本侵攻を諦めきれず再度日本侵攻を計画、高麗王・忠烈王は、150艘の軍船を建造して日本侵攻を助けたい旨をクビライに上奏したりしています。クビライの後を . . . 本文を読む
太子の外交方針
其の第一は外交に關することである。一口に謂へば日本が獨立の國家たることを國人に自覺せしめ、それと同時に外國にも認めしめたのは太子であると謂つて宜しい。其の點を明らかにするに就いては聖徳太子以前の外交の歴史を説く必要がある。
日本の海外交通の事實は、我々が日本の古代史に於て知つて居るよりも遙に古いものと思はれる。山海經に在る倭の記事(「蓋国は鉅燕の南、倭の北に . . . 本文を読む