我があると考えるのは、ないものをあると考える、さかさまの見方であり、仏性を認めないことも、あるものをないと考える、さかさまの見方である。・・「我」は迷いに導くものであり、「仏性」はさとりに至らせるものである。・・それなら人々は皆この仏性を備えているのにどうして貧富等の差があり、殺したり欺かれたりするような厭わしいことがおこるのか?これは例えば、力士が眉間に金剛の珠を飾ったまま相撲を取って、その額を . . . 本文を読む
最近何故か毎朝YouTubeの昭和の動画を見ています。今朝はYouTubeに昭和天皇の御製に「みほとけの教えまもりてすくすくと生ひ育つべき子らにさちあれ」と言う佛歌がありました。そういえば四国遍路の時14番常楽寺の孤児院で孤児たちに道を教えてもらったことがありました。このときも「御仏に護られた子供達」という思いがしてたことを思い出します。 . . . 本文を読む
太子の内政上の主義
次には内政に就いて述べるが、これも太子以前の國内の事情を十分に理解せなければ太子の勝れた點がわかりにくい。太子以前の國情は大化革新の際の詔に見えて居る所で、昔から天皇等の立て給へる子代の民、處々の屯倉、別わけ、臣、連、伴造、國造、村主の保てる部曲の民と謂ふ樣なものが全國に充ち滿ちて、朝廷の官吏とも謂ふべき者の治める土地は至つて尠なかつた。殊に豪族は多くの土地 . . . 本文を読む