復た次に四種の法熏習の義あるが故に、染法と淨法とが起り斷絶せざるなり。云何が四となすや。一は淨法。名ずけて眞如となす。二は一切染因。名ずけて無明となす。三は妄心。名ずけて業識となす。四は妄境界。所謂ゆる六塵なり。熏習の義は、世間の衣服は實は香り無きも、若し人香を以て熏習する故にち香氣あり。此も亦た是のごとし。眞如の淨法は實に染無きも、但だ無明をもって熏習する故に則ち染相あり。無明の染法は實は淨業な . . . 本文を読む
華厳経・菩薩明難品(業も果報も実体はない)そのときに文殊師利、宝首菩薩に問うて言う「仏子よ一切の衆生は四大(地水火風)により成っているので悉く自分とか自分の物というものはないはずである。しかるに人々は、苦を受ける者、楽を受ける者、或るいは悪をなす者あるいは善をなす者、或は心がきれいな者があり、或は外面が綺麗な者あり、或は少しの報いを受け、或は多くの報いを受け、或は現世で報をうけるものあり或は後世で . . . 本文を読む
第廿二番同佐竹寺(現在も第22番は妙福山佐竹寺(北向観音))
常州久慈郡天神林邨妙福山明音院佐竹寺は、花山法皇の御発願、元密上人の艸創也。本尊十一面の像は聖徳太子の手彫。法皇護持の聖躯也。
此の地を天神林と稱する故は、古振(より)七箇所の神社あり。各々松竹𦾔茂りて、何の世に鎮座し玉ふや、土人其の神名をも知者なし。尒るに正暦年中、花山法皇、坂東御巡礼の時、八溝山を下向(くだり)玉 . . . 本文を読む