復た次に染法は無始より已來、熏習不斷なり。乃至得佛の後は則ち斷ずることあり。淨法の熏習は則ち斷あることなく未來を盡す。此義云何。眞如の法は常に熏習する故に、妄心は則ち滅し、法身顯現し、用熏習を起こす故に斷ずるあることなし。復た次に眞如の自・體・相は、一切の凡夫・聲聞・縁覺・菩薩・諸佛に増減あることなく、前際に生ずるに非ず、後際に滅するに非ず、畢竟常恒なり。本より已來、性として自ら一切功徳を滿足す。 . . . 本文を読む
第廿九番下総千葉(現在も第29番は海上山千葉寺)
下総國葛飾郡千葉郷海上山観音院は千葉寺と名く。生身の観音説法の處なり。勅して三界六道青蓮千葉寺と號す。人王四十五代聖武帝の御宇、天平二年秋八月、行基大士武蔵國を経て當國の海邊を過玉ふ。前途、海を去ること不遠して池田の郷に大なる池あり。大士池中を臨見玉へば、水金色にして栴檀の香あり。彌視に中央に雲気集まり、雲中に微妙の聲有て、三界六 . . . 本文を読む
第廿九番下総千葉(現在も第29番は海上山千葉寺)
下総國葛飾郡千葉郷海上山観音院は千葉寺と名く。生身の観音説法の處なり。勅して三界六道青蓮千葉寺と號す。人王四十五代聖武帝の御宇、天平二年秋八月、行基大士武蔵國を経て當國の海邊を過玉ふ。前途、海を去ること不遠して池田の郷に大なる池あり。大士池中を臨見玉へば、水金色にして栴檀の香あり。彌視に中央に雲気集まり、雲中に微妙の聲有て、三界六 . . . 本文を読む