復た次に生滅相を分別すれば二種有り。云何爲二。一は麁。心と相應するが故に。二には細。心と不相應なるが故に。又た麁中の麁は凡夫の境界なり。麁中の細及び細中の麁は菩薩の境界、細中の細は是れ佛の境界なり。此の二種の生滅は無明熏習によって有り。所謂、因に依ると縁に依るとなり。因に依るとは、不覺の義なるが故なり。縁に依るとは、妄りに境界を作る義なるが故なり。若し因が滅すれば則ち縁滅す。因滅するが故に不相應の . . . 本文を読む
三代実録 ・仁和三年(887)八月十八日己未条「十八日己未 宿徳名僧百口を紫宸大極両殿に延べて三箇日を限り大般若経を転読す。異を攘災し年穀を祈る也」天皇は光孝天皇。七月三十日には仁和地震が起こっています。日本三代実録巻第五十、七月三十日の地震の記録です。「卅日辛丑、申時、地大震動、経歴数剋震猶不止、天皇出仁寿殿、御紫宸殿南庭、命大蔵省、立七丈幄二、為御在所、諸司倉屋及東西京廬舎、往往顛覆、圧殺者衆 . . . 本文を読む
坂東観音霊場記巻之七
第廿番下野益子西明寺(現在も第20番は獨鈷山西明寺(益子観音))
東野州芳賀郡益子邨獨股山西明寺は人王四十五世聖武皇帝統馭天平十三年辛巳年(741)行基大士の開基也。本尊十一面の像は勅に依りて、同じく大士の彫刻。此の尊像、胸の間蔵所は熊埜権現の神筆也。
聖武帝の國母、四十二代文武帝の后妃、贈太政大臣藤原不比等の女也。熊埜権現御信仰にて毎歳の春御社参あり。 . . . 本文を読む
伝教大師は神護景雲元年8月18日(767年9月15日)にご誕生、弘仁13年6月4日(822年6月26日)に入滅されています.伝教大師は今の滋賀県大津市坂本の一帯の豪族三津首百枝(みつのおびとももえ)が、日吉大社の奥にある神宮禅院に籠もり、願を掛けして授かったとされます。 その後僧になった最澄は、『法華経』に基づいた「すべての生きとし生けるものが仏に成れる」という天台の教えを樹立され、これを日本に広 . . . 本文を読む
今日は観音様の日です。以下の結論は、「一心に」「南無観世音菩薩」もしくは「おんあろりきゃそわか」等とお唱えすれば「定業」すら転じてくださるという事です。1、「定業」を転じてくださるかどうかというのは古来問題でした。「法華義疏・吉蔵」では一見「定業」は無理のように書いてあります。「問ふ、稱名(南無観世音菩薩と唱えること)は何が故に苦を脱するもの・脱せないものあるや。答ふ、一意如上。至心・不至心あるが . . . 本文を読む