弘仁七年(816年)七月八日は 高野山開創の勅許が出た日。
高野大師御廣傳に「七月八日依請給官符於紀伊国司偁
空地壹所
在伊都郡以南深山曰高野山 四至四方高山
右得僧綱牒偁 十禅師空海云 耆闍峻嶺 能仁之迹不休 弧岸奇鋒 観世之蹤相続 尋其所由 ・・國宣承知 依宣賜之 符到奉行・・」 . . . 本文を読む
・弘仁五年七月八日は大師が嵯峨天皇に梵字悉曇字母幷釈義一巻、古今文字讃三巻等を献じた日です。
「梵字幷に雑文を献ずる表
沙門空海言す。空海聞く、帝道、天に感ずるときは則ち秘録必ず顕はれ、皇風、地 を動かすときは則ち霊文聿めて興る。故に能く龍卦亀文は黄犠を待つて以て用を標は し、鳳書・虎字は白姫を候つて以て体を呈はす。於焉縄を結ぶこと廃れて三墳燦爛た り。木を刻むこと寝んで五典鬱 . . . 本文を読む
今日は諸国の寺で文殊会を開き、窮民を救うように太政官符で命じた日です。
文殊会は勤操・泰善等が窮民救済のために行なったのに始まるといい、天長五年(八二八)太政官符で制度化されました。太政官符では7月8日に諸寺で文殊会を行い、この時は前後三日にわたって殺生を禁じ、参集した男女に文殊菩薩の名号を一〇〇回唱えさせ、三帰五戒を授け、貧者に施しを行えとしています。後に京都の東寺・西寺のものが著名となりまし . . . 本文を読む
今日は諸国の寺で文殊会を開き、窮民を救うように太政官符で命じた日です。
文殊会は勤操・泰善等が窮民救済のために行なったのに始まるといい、天長五年(八二八)太政官符で制度化されました。太政官符では7月8日に諸寺で文殊会を行い、この時は前後三日にわたって殺生を禁じ、参集した男女に文殊菩薩の名号を一〇〇回唱えさせ、三帰五戒を授け、貧者に施しを行えとしています。後に京都の東寺・西寺のものが著名となりまし . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の2/7
二、土佐平岡の地蔵。
土佐の國平岡と云所に住みける男、字をば河野次郎師左とぞ申しける。同國畑と云所より世になれ人の娘を迎取て最愛し子息を一人設けて悦ぶことかぎりなし。然るに無常轉化の習、母思はざるに病の床に沈みて愛子のことをも忘れ夫婦の道も思はずして只羊の歩み(屠所の羊の歩み)の近付くことを悲しみける。此に世の餘波もをしく思ひ残せる妄執のみ多くありける中 . . . 本文を読む