史料綜覧 巻五 / 文永五年(1268)七月十七日条「十七日 仏眼法ヲ禁中ニ 七仏薬師法ヲ延暦寺中堂ニ修シテ 異国降伏ヲ祈ル・・」
亀山天皇、北条時宗此の年1月、蒙古が国書を持参。
仏眼法は仏眼尊を本尊とする息災・延命・調伏などを祈る修法。
七仏薬師法は七佛薬師(善名称吉祥王如来 · 宝月智厳光音自在王如来 · 金色宝光妙行成就王如来 · 無憂最勝吉 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永元年(1264)七月十七日条「十七日・・金剛童子法等ヲ御深草上皇ノ御所ニ修シテ 彗星ヲ禳フ」天皇は亀山天皇。鎌倉幕府は宗尊親王。執権は北条長時。当時彗星出現は大事件で師守記等にも「文永元年七月五日、寅時彗星見東方・・」とあり、日蓮は「・・去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日・戌亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間・未だ出現せざる大瑞な . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 4/14巻の4/13
四、 放生して感應を得る事。
江州甲賀郡(滋賀県南東部)の傍に男ありしが元来貧にして更に依方なき者なり。其の妻庸(つね)に隣家に傭(やとわ)れて機(はた)を織り其の値を取りて夫婦の渡世の種としけり。一時女房密かに布一端を織て夫に與ふれば、やがて請取て賣べきよしにて箭橋の津(矢橋(やばせ)は滋賀県草津市の集落地名。矢橋 . . . 本文を読む
文保二年1318七月十七日、後醍醐天皇即位に際し御代始三壇法(道助が不動法、慈道が如意輪法、禅助が延命法)を宮中で修しています。
御代始三壇法は天皇の御即位に際し神事の大嘗祭に対し仏事として行われるもので、御代始三壇法(不動法・普賢延命法・如意輪法)は近世まで行われてきました。
道助法親王は後鳥羽天皇の第2皇子、仁和寺門跡。
慈道法親王は亀山天皇皇子、天台座主。
禅助は後宇多上皇に灌頂をさ . . . 本文を読む
川端茅舍はウィキペヂアによれば「1941年7月17日43歳で死去」。「高浜虚子に師事し、虚子に『花鳥諷詠真骨頂漢』とまで言わしめたホトトギス・写生派の俳人。・・京都の東福寺の正覚庵に籠もり、絵や句の制作に勤しみ、同時に仏道に参じる。凛然とし朗々たる独特な句風は『茅舎浄土』と呼ばしめる。・・日本画家の川端龍子は異母兄・・」等とあります。
作品はたしかに仏教的な雰囲気 . . . 本文を読む