福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の2/7

2024-07-08 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の2/7

二、土佐平岡の地蔵。

土佐の國平岡と云所に住みける男、字をば河野次郎師左とぞ申しける。同國畑と云所より世になれ人の娘を迎取て最愛し子息を一人設けて悦ぶことかぎりなし。然るに無常轉化の習、母思はざるに病の床に沈みて愛子のことをも忘れ夫婦の道も思はずして只羊の歩み(屠所の羊の歩み)の近付くことを悲しみける。此に世の餘波もをしく思ひ残せる妄執のみ多くありける中にも、三歳になりける若子を近付けて後の髪を掻なでて絶入るやうにありし息を吹入れ吹出して見まはしけること、度々に及びければ夫さしより水を含みて、何事や思い残し玉へる白し置き玉へかし、浮世の形見kそなるべし、何ごとなりとも背くべからずと云て涙にむせびければ、女房手を合わせ指挙げて夫の手をとり、目を少し見上げて白しけるは、我身病苦の為に責められて餘念更になけれども、我は身退(みまかり)て後、人の行末も心本なく中にも彼子三歳に成ぬ。知らざる人の為に何心もなき幼子を目をそばめられて人成(ひととなる)もせで虚しく成なましと思ひ侍ると絶入りなとしければ、夫の云く、其れこそ心安く思ひ玉へ、人に後(おくれ)まいらせては我が身も様を易(かへ)戒をも受けて御身の跡を問奉らん、とありければ女房さまではあるべきことならず。只我が子に憂目を見せ玉はずして人と成(なし)玉へやと申しければ、争か(いかでか)疎(をろそか)あるべきと云ければ、うれしくもあるものかなとて、年比(としごろ)崇奉りける辞沿い売菩薩の木像をば彼の子に形見に譲なり、我を思ひ出さんときも此の佛をば拝み奉るべしと言て頓て(やがて)息絶けり。夫せんかたなく野邊の送りを為して存日の約束なればとて出家して高野粉河なんどに参りて明暮哀しみけるこそ理なり。隣家の人々集りて色々になだめて昔の女房の心根は唯幼きを育玉ふこそ本意なるべけれ、今は其れに引賛(ひきかへ)て遁世なんどの志を果し玉はんに於いては亡婦の迷の種ならん。されば彼の子を生長ならしめて人と成らば其の後は兎も角も心に任せ玉ふべしと口々に諫言しければ尤も(もっとも)とて、彼の幼孩をぞ愛しける。されば事換り、物移りて三歳にもならざるに歎も軽くなり、昔も打忘れて漸(やや)色のみぞ思ひける。何ならん情の深き女房なんどもがなと望みけるこそ亦なく浅間敷ぞありき。然るに彼の子少人(をさなきひと)ながら形心様など成人にも勝ってぞありし。角て明し暮しけるに何方ともなく女房を誘って栖けるほどに、何となく継母とぞなりにけり。さrでども夫も時(よりより)古の女房の事を思出して子に向て申しけるは、汝が母の言残したる言ありけるぞ、汝が幼少といへども母の報恩とも思はば唯一(ひとへ)に地蔵を礼拝し供養し奉るべし、と云へば、彼の子打ちうなつ゛きて一心に彼の佛像にぞ仕へけり。夫女房に向かって申しけるは、人をかたらひ奉る事は真に色を好むに似たれども全くさにてはなきなり。我が子の幼きを育みそだてん為ぞかし、相構て哀れみ玉へと白しければ、云ふにや及び侍らん、心安く思玉へと諾ひける。夫うれしく思ひて兎も角もかはらひ玉へやと打融(うちとけ)て任せけるが日数経るに随て覚へず悪心の出来て賢き立ち居振る舞いなどするもいとど悪(にく)さぞ増し、亡母の言のこせしことにて地蔵の像を供養し花を手向け香を捧げなんどし少(ほそき)手を合わせて寶号口唱するは尚面悪(つらにく)くぞ思ひければ、如何(いかが)してなりとも失ひ申さんとの方便をぞ工夫しけるが、先ず母のゆつ゛りなりとて長一尺計(30㎝ばかり)の地蔵菩薩を奉持しけるが父子ともに此れを一大事としければ、先ず此の佛を取蔵して父に呵(しから)せばやと思ひければ年比(としごろ)身近く召使ひし千代と云女郎を忍に招きて此の由をはからへと云付たりければ、下賤のならひ後難をもかへりみず承はると申して彼の佛を密に拘きたてまつり其の家の後ろの山に古き井のごとなくなる堀のありける底へ投げ入れ奉りて皈来て能々はからひて参りたりとて件の仔細を語れば女房斜めならずぞ喜びけり。夫は是をば夢にも知らず、彼の子の本尊を失ひたりと歎くに肝を消し、彼方此方を尋るに求兼(もとめかぬ)るぞ理なり。疑なく盗の所為なるべしとて我が子の咎とは云はざりける。女房父の子を呵らざるを諫めけれども夫もちゆることなし。然るに其の夏六月の中旬の夜大雨降りて洪水を流しけるに彼の家のうしろの川崩れて彼の屋を推(おし)流しける。されども人は兎角して子細なくぞありし。水静まりて又土を引き家を作りけるに女房つぶやきけるは、此の水難にも彼の子の流れもせであることのうらめしやと件の千代を招きて小音になりて白しけるは、彼の子を打ち殺んに於いては打目切目の疵ありて人の言も恐れあり。只何となく失はれ方はいかが。能々はからひ候へとあれば、其れこそ安きことに侍れと、父の他行したりし留守に當り彼の子に酒を強て飲ませ爨(こしき)の中に推入れて上より米をうつしいれて下に火を焼いてぞ終にこれをぞ殺しける。其の后取出しつつ涼水にて洗ひて薄き衣を打着せてさあらぬ体にてぞもてなしける所に父皈りければ母涙を流し申しけるは、さればよな彼の子邪気とやらん云ふ物氣(もののけ)に鳥子rされて侍る由を云て、虚啼して袖を顔に掩てぞ居たりけり。父は仰天して是いかなる因果にてやあるらんと方角無く涙を流し居たりしが、角あるべきにあらずとて野外に送り出して葬りけるが尚餘波(なごり)を思ひて其の家の後ろに置き直して常に音をも聞かしめんとぞしけるほどに後の山を掘りけるに浅くては野干の怖れあるべしと深くほりけるが何ともなき黒物の見へれるを恠みて取り出し見ければ我が子の失ひし地蔵菩薩の聖像にてぞ在しける。久しく土中に埋もれ玉ひければ彩色なんどもはげて水の潤に湿玉ひしを取り上げ奉りつつ我が子の失しとき如是ならましかがいかばかりは喜く思ふべきと聲も惜しまず泣きけり。あまりの事に先だたる子の膚に地蔵の御尊体を押當てけることに三度しければ忽ち息を出し蘇生して六根何れも正しくなり、利根福裕になり、剰(あまつさへ)學に志を入れて上下の灯と成りけり。源遠しといへども其の像今に土佐の國の内平岡に現在し玉へり。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 七夕の本質は先祖の魂祭りである | トップ | 今日は文殊会を太政官符によ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事