今日は仁壽殿観音供の宣旨が出た日です
覚禅抄「延喜十六年916七月二十七日、宣旨(醍醐天皇)、權大僧都観賢を召して云、仁寿殿に於いて観音像を供養すべし。又毎月十八日同じく奉供すべし。件の観音は十一面菩薩、脇士は梵天帝釈」
このあと永長元年1096ころには観音供は宮中二間で行われるようになっています。
神皇正統記にも「又十八日の観音供〈略〉宗により深意あるべし」 . . . 本文を読む
文明十四年1482「(一月二十七日)泉涌寺住持教見を召して受戒あらせらる、後、数此の事あり、七月二十七日、雲龍院(注2)聖秀を召して之(受戒)を行はる」(後土御門天皇実録(注1)・御湯殿上日記)(注1.後土御門天皇は践祚後応仁の乱が起き、寺社や公卿の館は焼け、朝廷の財源は枯渇して朝廷は衰微した。後土御門天皇は敬虔な仏教徒であり、貧窮は自分の罪障が原因と考えて、以下の和歌を詠じられた。「誓ありと 思 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の1/17
地蔵菩薩三国霊験記巻之五目録
一、佉羅陀山事
二、喬提長者が家の悪鬼を救ひ玉ふ事
三、唐の法聚寺地蔵の像の事
四、同じく善寂寺の像の事
五、尼僧徹の事
六、王氏霊験を得る事
七、母、女(むすめ)の方便に依りて往生の事。
八、伽藍を汚す罰の事。
九、常燈を犯す罪業の事。
十、願に随って益を得の事。
十一、生身の盲目開く事
十二、 . . . 本文を読む
今日は湛空上人遷化の日です。以下浄土宗大辞典等に依ります。湛空は建長五年(1253)七月二七日78歳で遷化。正(聖)信房。法然の門弟。左大臣徳大寺実能の孫にあたり、法眼円実の息。初め天台に登り顕密二教を修学。後に法然に帰依し専修念仏につとめる。法然とその門弟の長老である信空から、それぞれ円頓戒を相承されていて、事理の二戒を相伝したといわれる。土御門天皇に授戒、その御遺骨を嵯峨の二尊院の塔に納めたと . . . 本文を読む