元禄十年1697七月九日は護国寺観音堂が上棟された日。(護国寺史) . . . 本文を読む
今日は神泉苑・東大寺で請雨法を修した日。
〔日本紀略〕(応和三年963七月)九日己未,神泉苑において請雨經を始める.律師は救世之を勤む.番僧廿口なり。今日より三箇日,東大寺大佛殿において七大寺僧等を請じて仁王經を轉讀す
・天皇は村上天皇。・救世(ぐせ)は東寺長者。高野山座主。10世紀。はじめ比叡山相応に得度し、後興福寺に移り、晴祐の弟子となり性相台三宗の法門に通達せり。また淳裕について密乗を学 . . . 本文を読む
明和元年7月9日、護国寺で秩父三十四観音の総開帳が行われています(護国寺史。以下も同様)。このあと10 月10日に境内に総開帳供養塔が建立されています。これはいまも本堂前にあります。その後、護国寺では江戸期だけで四回は秩父三十四観音の出開帳が行われています。当方も秩父は無数にお参りしており、真っ赤になった納経帳が数冊あります。護国寺と秩父札所のふかい縁を知り毎月護国寺にお参りさせていただいている当 . . . 本文を読む
寶篋印陁羅尼と光明真言が先祖供養には最適
生きていると色々な事が起こります。苦悩の最中には先祖供養が浮かばれてない為なのではと思い、先祖供養をしたいと強く思うときがあります。
この想いは大切なことで先祖供養を継続することが即ち災悪消除・所願成就開運につながることは身を以て体験しています。
今まで種々の先祖供養を試行錯誤してきましたが一番おすすめは他者に頼らず自分で行う事です。
先祖 . . . 本文を読む
続史愚抄 / 文永五年(1268)七月九日戊午条「九日戊午 今朝神泉苑御読経結願。<五箇日に満たずと雖も 昨日雷雨ある故也> 蓋し奝助僧正は本坊に於いて猶ほ祈請すべき者なり。 又勧賞あり。」亀山天皇。幕府は北条時宗。この年一月には蒙古が国書を持参して不穏な空気が漂っていた時です。奝助は白川入道右府實親の息。東寺長者。仁和寺別当。右大臣大僧正と号す。文永十年にも神泉苑祈雨読経。建治二年水天供。弘安元 . . . 本文を読む
華厳経巻第二十金剛憧菩薩品第二十一ノ六「・・菩薩は法の為に身を捨つること数限りなく、諸々の苦行を修して菩提を求め、又、衆生のために諸苦を受け、無上智を求めて退転せず。如来の正法を聴受せんが故に、身を以て布施して疲厭なく、内心に歓喜すること量あることなし。一切の衆生を救護せんが為なり。・・」この句に出会うと生半可な考えでは仏法に近ずくことすらできないと改めて思います。 . . . 本文を読む
森鴎外は1922年(大正11年)7月9日満60歳で死去しています。戒名は貞献院殿文穆思斎大居士で墓は三鷹市の禅林寺にあります。この関係で毎年7月9日14時から禅林寺では鴎外忌を行っているようです。墓参、文学談義等があり自由参加ということです。
鴎外の「寒山拾得」には医者の鴎外にしては珍しい、呪いで官吏の頭痛を治すところがあります。「・・元来閭は科挙に応ずるために、経書を読んで、五言の詩を作ること . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の3/7
三、地蔵講行不同の事。
常陸の國筑波山の傍に圓坊と云ける僧あり。人を語ひて結縁し月の廿四日に地蔵講を興行しけるが人数多く集会して張行しける餘財甚だ巨多なりければ後日には是が為に欲心ををこし講行の事は跡なく残米等の利欲を沙汰し施食利益は不通にして餘りあるをば己が眷属に扶持しつつ或は馬を飼ひ牛を養ふ縁とぞしたりける。或傍に栖居ける法師に圓了坊と白しける行人、 . . . 本文を読む
「定業亦能転」「能除一切苦」
・この世は不条理の海です。なぜこんなに苦しまねばならぬのかと古来、人々は悩みに悩んで来ました。我々が流した涙は海の水より多いと諸経でも言われてきました。
https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/4658c032d2e8063de4cf66ff3328a60c
・しかし一方それだからこそ「定業亦能転」「能除一切苦」とも説かれてきました . . . 本文を読む
今日は軍人・民間人合わせて4万人が戦死したサイパンの戦いの最終日です。
以下ウキぺデアです。「サイパンの戦い(サイパンのたたかい)は、第二次世界大戦中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘。斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵 . . . 本文を読む