慶長15年1610、10月14日は高野山遍照光院・蓮華三昧院住職頼慶遷化(76歳)の日です。以下密教辞典に依ります。頼慶は紀伊有田の人。高野山に登り蓮華三昧院住職。1601慶長6年阿波で安慶問答・浄土宗僧が浄土宗以外では得道せずと主張するのを論破。慶長15年勧学となり諸山を指導するが反発をかい伊豆走湯山に隠棲。慶長15年1610、10月14日遷化。 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の7/10
七、田に水を入れ給ふ事
筑後國八講と云所にいやしき田夫あり。旧業の拙きにより貧道にをちて朝夕飢寒につめられるのみならず、かかる下賤に生れて明くれば公事に逼られ暮れには生産に哀れむ。終わりの果てには地獄に落ちて世世生生思出もなからん事をくやしく思ひけるほどに、少しの隙あらば堂塔へ参りて自らの引接を祈ける。中にも地蔵菩薩を信じ奉りとかくの営みをめぐらして . . . 本文を読む
「尊卑分脈」(観応元年1350十月十四日)「北朝、良慶(注1)をして熊野三山幷に新熊野検校に補す。」北朝方が崇光天皇。(南朝方が後村上天皇)。室町幕府は足利尊氏。(注2)(注1)良慶は一条家経の息。園城寺、大僧正、三井寺長吏、三山検校、新熊野検校、常住院、延文五年八月十二日死去。七十歳。(注2)この直後、観応の擾乱があり(正平5年/観応元年10月26日から正平7年(1352)2月26日)将軍足利尊 . . . 本文を読む
「大鏡」「昌泰三年己末十月十四日、(第五十九代宇多天皇)出家せさせたまふ。御名、金剛覚と申しき。承平元年七月十九日、うせさせたまひぬ。」
「本朝皇胤紹運録」「昌泰三年十月十四日(第五十九代宇多天皇)出家。三十三。法諱空理。御灌頂の時、之を金剛覚と改む。御戒師益信僧都」)」 . . . 本文を読む