(以下「聖一国師年譜」やウキぺデア等に依る)円爾(建仁二年1202十月十五日駿河で生まれ、弘安三年1280十月十七日遷化。)五歳で久能山尭弁に師事、以後天台教学を学び、十八歳で園城寺(天台宗)にて落髪、東大寺(当時は八宗兼学)で受戒嘉禎元年1235渡宋,無準師範の法をつぎ,仁治二年1241帰国。九条道家にまねかれ東福寺の開山となり,朝廷や北条時頼らの帰依をうけた。寿福寺、建仁寺に歴住し後、東大寺大 . . . 本文を読む
今日は後白河法皇が初めて熊野詣をされた日
・「梁塵秘抄口伝集」「我(後白河法皇)、永暦元年1160十月十七日より精進を始めて、法印覺讚を先達にして、二十三日進発しき。二十五日むまやどの宿に、為保左衛門尉にてありしに、それがぐしたりし先達のゆめに此度参らせ給ふはうれしけれど、ふる哥をたばぬこそはおしけれと、見たる由を申す。元より王子にてはする事をばすなるに、御哥などはあるべき物をな . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の10/10
十、下女火印を免る事
奥州秋田の郡に王大夫の惟秀と云ふ俗あり。家も冨みて身も豊なり。されども慳貪無慚の至にてありける。家属の中にをとめごといふ下女十八歳になりけるが下劣に賤しき生れ付なりしが心賢く、三宝を貴みける。或時農夫の食をひろぶたにならべて彼の下女にもたせて耕田につかはしける折、雨ふりて道もあゆみみぐるしきにこそ道の傍なる一宇の古堂に立寄り、 . . . 本文を読む