古来即位式の度に新天皇は、全国の神社に仏舎利を奉納されていました。 「即位儀礼に見える仏舎利信仰・・・一代一度仏舎利使について・・・大原眞弓 」という論文がありました。 「一代一度仏舎利使とは、天皇即位に際して宇佐・石清水以下全国の各名社に仏舎利使を派遣し、仏舎利を奉納する即位儀礼である。その対象となる名社は、五畿七道にわたりほぼ平安初期から鎌倉末期まで三六七年間、三一代に渡り連綿と仏舎利奉献が . . . 本文を読む
今日は高野山明王院学僧忠義の示寂された日
以下密教大辞典等に依ります。
忠義・・高野山明王院の学僧。讃岐の人。高野山明王院勝義の室に入り事相を研磨。かって御社に詣でて印言黙祈す。傍に一客僧あり、大般若経筐に踞す、忠義師は大般若経筐を拝して後、客僧に告げて言ふ、『子の踞するものは大般若経筐なり』と。客僧云く『大般若経の上に大般若経を重ぬ、何の妨げかあらん』と。忠義師即ち客僧の膝上に踞す、客僧痛に . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 12/14巻の5/6
五、僻む者は必ず罰を蒙る事
伊賀國河井と申す旁に(河合村は三重県阿山郡にあった村。現在の伊賀市の北部)藤原則春(のりはる)と云ふ有徳の仁あり。本は京都の高家の人にてありけれども乱世にをちぶれて地下に交りけるこそ本意なきことなり。されば源遠くなるままに末孫は土民の縁となる。然りと雖も一跡の地頭となるほどに公方にも知られたる人にぞ侍りける。されば心賢くして . . . 本文を読む
扶桑略記(高野春秋には二十二日となっていますが扶桑略記では道長の参拝は二十三日となっています)
(治安三年1023十月)「同十七日、入道前大相國紀伊金剛峯寺に詣ず・・二十三日払暁、廟所に詣ず。是に於いて山窟雲晴漢天雨晴なり。法華経一部般若理趣経丗部を供養す。權小僧都心誉講師となる。今事情を案ずるに弘法大師は密教の祖師、智証大師の外舅なり。今講師は智証大師の門徒、顕密に兼長す。屈す . . . 本文を読む