「(日本が)支那から文字その他を取り入れたときも印度から仏教を取り入れたときも、今西洋から物質文明を取り入れたときも、いとも易々とそれをやっている。まるで掌を指すようである。どうしてこういうことができるのかというと、それはいわば全てを既に知っていて、ただ名前を知らなかっただけのことである。・・日本が有形の文化を取り入れることができたのは、無形の文化をもっていたからである。いともたや . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 10/14巻の2/10
二、虚夢想の事(沙石集巻二の六にあり)
近比(ちかごろ)勘解由の小路に、利生あらたなる地蔵おはします。京中の男女市をなして詣る中に若き女房の、みめかたちならびなきが、常に通夜しけり。また、若き法師、常に参籠しけるが、この女房に心をかけて、いかにしてか近づかむずると思ひけるあまりに、同じくは本尊の示現の由にて近づかむと思ひ巡らすに、この女房、宵のほどつ . . . 本文を読む