今日文永十一年1274十月二十九日は蒙古襲来に際して叡尊が亀山天皇行幸の下に四天王寺に於いて百座仁王会を修した日。西大寺勅諡興正菩薩行實年譜には「文永十一年・・菩薩七十三歳。春二月(叡尊伊勢神宮参籠記には四月十一日)勅を奉じて伊勢神宮に参籠。般若を転読し国家を祝祷す。十月五日蒙古賊船四百五十艘,兵三万人襲来して既に壱岐対馬に到る。十月二十九日、菩薩詔を報じて天王寺に於いて百座仁王会を修す。亀山天皇 . . . 本文を読む
「高野春秋」「(永延元年987冬十月)二十九日、東寺に於いて三昧耶戒を授け奉る。(円融天皇覚如法皇の)御歳二十一、僧正(寛朝)七十三」
円融天皇は村上帝の第五皇子。同母兄冷泉の譲位により11才で即位。藤原氏実権を持ち始める最初の帝。花山帝に譲位するが寛和の変で花山帝は円融帝の息一条天皇の譲位。円融帝は幼帝を指導して強い発言権を持ったという。
寛朝。祖父は宇多天皇(寛平法皇)祖父 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 13/14巻の5/9
五、汁谷福田寺の像
洛東汁谷東臺山福田寺(現在の京都市下京区の時宗 東岡山 福田寺)は往昔尊氏将軍文和四年(1355年)十一月二十八日に加賀爪甲斐の権の守行貞隠岐守秀村二人の寄進せるらるる地なり。古は六條の末東山汁谷妙法院御門跡の境内なりしが天正の比(1573年から1592年)洛中の寺院を遷す事ありて唯今の地になりき。凢そ當寺の本尊は参議小野篁の作なり . . . 本文を読む