神とは・・?
「慈雲尊者、問決」に以下のようにあり。
「神は聡明正直にして壹なるものなり。人に依って行ふ。唯だ徳これを助く。(神は聡明正直で偽りがなく人の徳に応じて助けてくださる)」神人の道此れに明らかなり。その聡明は人類の及ぶべきならず。正直にして壹なり。雄略記に、一言主の神の、善も一言、悪も一言との如き、これ也。 (「又、一時(あるとき)に、天皇の葛城山(かづらきやま)に登り幸(いでま)しし時、百官(もものつかさ)の人等(ひとら)、悉く紅の紐を著けし青摺(あをずり)の衣を給はり服(き)き。彼(そ)の時に、其の向へる山の尾より、山の上に登る人有り。既に天皇の鹵簿(みゆきのつら)に等しく、亦、其の装束(よそひ)の状(さま)と人衆(ひとかず)、相(あひ)似(の)りて傾(かた)がず。爾に天皇、望みて問はしめて曰く、「茲(こ)の倭国に、吾を除(お)きて亦、王(きみ)は無し。今誰人(たれ)ぞ如此(かく)行(ゆ)く」といふに、即ち答へ曰ふ状(さま)も、亦、天皇の命(みこと)の如し。是に、天皇、大きに忿(いか)りて矢刺し、百官の人等、悉く矢刺す。爾に、其の人等、亦、皆矢刺す。故、天皇、亦、問ひて曰く、「然らば其の名を告(の)れ。爾に、各(おのもおのも)名を告りて矢を弾(はな)たむ」といふ。是に、答へて曰く、「吾先づ問はえつ。故、吾、先づ名告りを為む。吾は、悪しき事も一言(ひとこと)、善き事も一言、言ひ離つ神、葛城之一言主大神(かづらきのひとことぬしのかみ)なり」といふ。天皇、是に惶(おそ)り畏(かしこ)みて白さく、「恐(かしこ)し、我が大神。うつしおみに有れば覚らず」と白して、大御刀(おほみたち)と弓矢とを始めて、百官の人等の服せる衣服(ころも)を脱かしめて、拝み献りき。爾に、其の一言主大神、手を打ちて其の捧げ物を受く。故、天皇の還り幸す時に、其の大神、山の末に満(いは)みて、長谷の山口に送り奉る。故、是の一言主之大神は、彼の時に顕(あらは)れたるぞ(古事記・雄略記)」)。雑宝経に「仏天鬼神二言なし」(増壹阿含經卷第三十七「諸佛世尊終無二言。諸佛終不捨衆生」)と。これ也。この神必ず人に依って霊あり。人徳有れば福となり。人悪あれば禍となる。
「慈雲尊者、問決」に以下のようにあり。
「神は聡明正直にして壹なるものなり。人に依って行ふ。唯だ徳これを助く。(神は聡明正直で偽りがなく人の徳に応じて助けてくださる)」神人の道此れに明らかなり。その聡明は人類の及ぶべきならず。正直にして壹なり。雄略記に、一言主の神の、善も一言、悪も一言との如き、これ也。 (「又、一時(あるとき)に、天皇の葛城山(かづらきやま)に登り幸(いでま)しし時、百官(もものつかさ)の人等(ひとら)、悉く紅の紐を著けし青摺(あをずり)の衣を給はり服(き)き。彼(そ)の時に、其の向へる山の尾より、山の上に登る人有り。既に天皇の鹵簿(みゆきのつら)に等しく、亦、其の装束(よそひ)の状(さま)と人衆(ひとかず)、相(あひ)似(の)りて傾(かた)がず。爾に天皇、望みて問はしめて曰く、「茲(こ)の倭国に、吾を除(お)きて亦、王(きみ)は無し。今誰人(たれ)ぞ如此(かく)行(ゆ)く」といふに、即ち答へ曰ふ状(さま)も、亦、天皇の命(みこと)の如し。是に、天皇、大きに忿(いか)りて矢刺し、百官の人等、悉く矢刺す。爾に、其の人等、亦、皆矢刺す。故、天皇、亦、問ひて曰く、「然らば其の名を告(の)れ。爾に、各(おのもおのも)名を告りて矢を弾(はな)たむ」といふ。是に、答へて曰く、「吾先づ問はえつ。故、吾、先づ名告りを為む。吾は、悪しき事も一言(ひとこと)、善き事も一言、言ひ離つ神、葛城之一言主大神(かづらきのひとことぬしのかみ)なり」といふ。天皇、是に惶(おそ)り畏(かしこ)みて白さく、「恐(かしこ)し、我が大神。うつしおみに有れば覚らず」と白して、大御刀(おほみたち)と弓矢とを始めて、百官の人等の服せる衣服(ころも)を脱かしめて、拝み献りき。爾に、其の一言主大神、手を打ちて其の捧げ物を受く。故、天皇の還り幸す時に、其の大神、山の末に満(いは)みて、長谷の山口に送り奉る。故、是の一言主之大神は、彼の時に顕(あらは)れたるぞ(古事記・雄略記)」)。雑宝経に「仏天鬼神二言なし」(増壹阿含經卷第三十七「諸佛世尊終無二言。諸佛終不捨衆生」)と。これ也。この神必ず人に依って霊あり。人徳有れば福となり。人悪あれば禍となる。