保安三年1122七月二十日に覚鑁聖人(二十九歳)は求聞持法立申大願の文を作られて曰く「宗祖大師の請來録並に三學録中の眞言の一切経、大師御作の書、兩界曼茶羅各一舖、虚空藏菩薩像三舖、大師明神法樂の爲めに般若心経一千二百巻を各々書爲し供養し勤仕師事し、眞言宗の章疏を撰集して密教の壽命を繼ぎ行者の心眼を開かしめ奉らん」(興教大師大師全集)と。
猶、「高野春秋」には「(保安三壬寅年1122)秋七月、バン(梵字)衲、求聞持法を奥院道場に於て悃修し悉地を得。第九度也。玆より身通を得る矣。」とあり、此の時覚鑁上人は悉地を得て身通(神足通)を得られたとされます。