福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

阿闍世王授決經

2019-04-03 | 諸経
貧者の一灯の基になったお経です。貧母が乞食で得たお金で油を買い燈を燃やして仏を供養したところその燈か消えることなく輝き続けた。貧母は仏様から将来「須彌燈光如來」となると授記された・・というものです。


阿闍世王授決經
西晋沙門釋法炬譯
聞如是。一時佛羅閲祇國耆闍崛山中にあり。時に阿闍世王、佛を請う。飯食已に訖り祇洹に帰らんとす。王、祇婆と議して曰く。「今日佛を請す。佛、飯已に竟る。更に復た所宜」。祇婆言く。「惟多だ然燈する也」。是において王乃ち勅して百斛の麻油膏を具し、宮門從り祇洹精舍に至る。時に貧窮の老母あり。常に至心に佛を供養せんと欲すれども資財なし。王の此功徳をなすをみて乃ち更に感激す。行乞して兩錢を得る。以って麻油家に至って膏を買う。膏主曰く。「母人大貧窮なり。乞して兩錢を得る。何ぞ食を買わず、自ら以て連繼して此の膏の爲に用るや。」母曰。「我れ聞く、佛は百劫に一遇すること難し。我れ幸に佛世に逢えども供養無し。今日王の大功徳を作すを見る。巍巍無量なり。我意を激起す。實に貧窮と雖も一燈を然して後世の根本となさんと欲する者也」。是において膏主其至意を知り、兩錢と膏の應じる二合に特に三合を増して凡て五合を得さしむ。母則ち往き當に佛前に之を燃やす。心に計しておもわく、「此膏半夕に不足せん。」乃ち自誓して言く。「若し我が後世において得道して佛の如くならんに、膏、當に夕を通じて光明にして不消ならんと。」作禮して去る。王の然燈或は滅え、或は盡く。雖有人侍恒不周匝。老母所然の一燈の光明は特に朗なり。殊に諸燈に勝れて夕を通じて不滅なり。膏又不盡にして明朝旦に到る。母復來りて頭面作禮叉手して却住す。
佛目連に告げ給う。「天今已に曉なり、諸燈を滅すべし」。目連承って以って次に諸燈を滅す。燈皆な已に滅す。惟だ此母の一燈は三度滅すれども不滅なり。便ち袈裟を擧げて以って之を扇げども燈光益すます明し。乃ち威神を以て引隨し藍風を以て次に吹燈す。老母の燈更に盛猛し、乃ち上梵天を照らす。三千世界の傍照、悉く其の光を見る。佛目連に告げたまわく。「止ね止ね。此は當來佛の光明功徳なり。汝の威神毀滅するところにあらず。此の母の宿命は百八十億佛を供養し佛の從前にて受決しおわりぬ。務めて經法をもって人民を教授開化す。未だ修檀に暇あらず。故に今、貧窮にして財寶あることなし。却後三十劫にして、功徳成滿し、當に佛となることを得べし。號して曰く須彌燈光如來と。世界に日月あることなくとも、人民の身中に皆なこの大光あり。宮室衆寶光明相照すること忉利天上のごとし。老母決を聞きて歡喜す。即時に輕擧して身は虚空に昇り、地を去ること百八十丈。來下頭面作禮して去る。王之を聞き、祇婆に問うて曰く。「我功徳をなすこと巍巍として此の如し。而るに佛、我に決を与えず。此の母、一燈を然するのみにて便ち決を受く、何をって爾るや」。祇婆曰。「王の作すところ多しといえども心不專一なり。此母の佛への注心の如くならざる也」。
乃ち更に往請す。佛諸園監に宿勅す。各晨に好華を採りて早く宮至中に送入す。佛便ち晨に祇洹を出でて徐徐に緩行す。道に随って人民の爲に説法す。日中に投じて宮に到る。一園あり、たまたま園を出て巷にいたる。正に大道の衢において佛と會う。佛の説經を聞き一心に歡喜す。即に所持する華を以て悉く佛の上に散ず。花は皆な空中當に佛の頭上に於いて住す。佛即ち授決して曰く。「汝已に九十億佛に供養す。却後百四十劫にして汝當に佛となるべし。號して覺華如來という」。其人歡喜し、即時に身を輕擧して虚空に昇る。來下して禮を作し畢る。即ち更に自念して「我が王の人性大嚴急なり。故に宿勅我齋戒將華當以供佛。而して我悉く自ら佛に以上す。空手にして往けば必ず當に我を殺すべし。便ち徑に歸家して空華箱を戸外に置く。入りて婦に告げて言く。「我朝より未食なり。王今當に我を殺すべし、急いで具食を為せ」。婦聞いて大惶懅して曰く。「王何故相殺。便ち婦の為に本末之を説くべし」。婦即ち出ず。竈下に至って具食す。天帝釋便ち天華を以て空箱中に滿ず。婦食を持ちて還る。戸外を見るに箱中の華、滿ちて光色非凡なるが如し。即以って夫に告ぐ。夫戸を出て視る。是れ天花なるを知り心大歡喜す。止不復食便持華入。王たまたま出でて佛を迎える。道に王と相逢う。王華を見るに大好世間希なる有り。即ち監に問うて曰く。「我園中に大此好華乃爾あり。而るに汝前後送上せず。汝が罪、應に死にあたる、寧知之不」。監曰。「大王よ園中に此華あることなし。臣朝早將に園華道路にて佛にあう。歡喜に勝たず。盡く以って佛に上ず。即ち我に決を授く。知る、當に殺さる故に過家索食す。比れ其頃出て空箱中に視る。復た此華を見る。必ず是れ天華なり。園所有に非ず。今我生既に卑賤なり。王の為に園を守る。拘制縣官不得行道。一已に授決す。正に死すれば必ず天上に生まれる。十方の佛前拘制するところなし。恣意に行道するをうべし。王若し我を相殺せば無所在也」。王授決を聞きて、便ち慚怖を生ず。肅然毛竪。即ち起きて作禮し、長跪懺悔す。佛宮にいたりて飯食已訖し、呪願して去る。王復た祇婆に問うて曰く。「我前に佛に請て老母受決す。今日福を設けて園監受決す。我れ獨り何故ぞ初より獲るところ無きや。心甚於悒。當復に何等の功徳を作すべき耶」。祇婆曰。「王頻日に設福すといえども。但だ國藏の財をもちうるのみ。人民の力を使う。心或は貢高、意或いは瞋恚なり。故に未だ決を得ず。今宜しく身中自供之具を割損し、并びに瓔珞七寳珠環を脱し以って寶華を作るべし。當に夫人と太子と力を合わせ合掌すべし。自ら就いて功勤し一心に佛にたてまつらば、佛、王の至誠必を照らして決を得る也。是において王減徹厨膳晝夜齋戒し、身上の諸寶を脱す。合聚諸師曰前作華。王及夫人太子皆自ら著手す。至九十日所作悉成。勅して外駕し、當に往きて佛に上る。傍臣白言。「聞く佛、鳩夷那竭國に到る前に、已に般泥洹也と」。王聞心大悲號。涕涙哽咽曰。「我至心に此華を手作すれども、佛雖般泥洹す。我當に耆闍崛山に齎詣する故に以上の佛坐處展馳我意也」。祇婆曰。「佛は無身にして無泥洹なり。亦た不常住無滅無在なり。惟だ至心の者は見佛することを得る。佛世間にあることなしといえども至心の者は佛を見る。大王の至誠乃ち爾なり。佛般泥洹すといえども往けば必ず佛を見る」と。便ち耆闍崛山中に到る。佛見て且は悲み且は喜ぶ。垂涙して進む。頭面作禮七寶華をもって佛上前に散す。華皆空中に住して化成して正當に佛上にて寶蓋となる。佛便ち王に授決して曰く。「却後八萬劫にして劫の名は喜觀。王當に佛となるべし。佛號して淨其所部如來。その刹土を華王と名ずく。時に人民壽四十小劫。
阿闍世王太子。旃陀和利と名ずく。時に年八歳。父の授決を見て甚大歡喜。即ち脱身上衆寶以散佛上曰。「願くは淨其所部作佛の時。我金輪聖王得供養佛を作す。佛般泥洹後我當承續して佛とならん。其所散寶化爲交露帳正覆佛上」。佛言。「必汝願の如し。王爲佛時必當に金輪聖王とならん。壽終れば便ち兜率天上に上生す。壽盡きて便ち下りて佛となり、藥王刹土に在りて教授す。佛栴檀と號す。人民壽命國土所有。皆淨其所部の如し。
佛時に適竟王及旃陀和利に授決す。前爲佛作禮便㸌然不見佛所在。
阿闍世王授決經

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