福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨日高野山にお参り

2013-10-12 | 講員の活動等ご紹介
先日高野山をお参りしてきました。御廟でいつものように理趣経をあげました。ここではいつも「弘法大師講式」「弘法大師行状要集」等にある「居卜於高野山樹下。心神雖遊問兜卒天上。日々の影向をかかさず処々の遺跡を検知す。」をおもいだします。お大師様の旧跡や『南無大師遍照金剛』ととなえるところには、お大師様がここから無数のお姿となって済度にお出かけになるのだと肌で感じます。
ふと御廟の空をみあげると、杉の大木の間から台風一過抜けるような秋空が広がっていました。大日経住心品の最初の方にある、「所謂、三時を越えたる如來の日の加持の故に、身語意平等句の法門なり。」( 過去未来現在という時間を超越したあらゆる時間に、大日如来の不思議な力が加えられて佛と我々衆生のそれぞれの身口意すべてが一致するという教えが説かれた。)というところを思いだしました。 「三時を越えたる如來の日」というのがすごいのです。「永遠の今」「今が永遠」とでもいうことでしょうか。時間はないといっているのです。 この御廟の青空をみると昔の人も未来の人もここでこうして青空を見上げるのだなあとおもいました。もったいないことにお大師様もこうしてこの青空をご覧になったのではないかとも思いました。今がいつなのか、自分が小さい頃のようにも思えますし、ずーっと未来のようにも思えました。   





























。云々 東寺定額僧勝實。任善通寺別当下向讃州。件寺有此御筆文。又御筆云々 我昔遭薩埵 親悉傳印明  發無比誓願 陪片地異域 晝夜愍萬民住普賢悲願 肉身證三昧 待慈尊下生。此二行偈頌文。雲居寺膽西聖人所持大師御筆金剛般若経奥ニ有此文云々」とあることからきています。つまり大師は入定されている高野山奥の院から今でも毎日、縁のあった各地に出向かれて衆生済度にお力を注がれているという文「居卜於高野山樹下。・・・」が善通寺に大師筆としてのこっていた、又「我昔遭薩埵・・・」の文は雲居寺膽西聖人所持の大師御筆金剛般若経の奥付にかいてあったというものです。ここに「同行二人」の信仰、四国遍路で大師にめぐり合えることの裏付けがあるわけです。
大木の間から空を見上げると青い空に吸い込まれるような気持になります。
奥の院入口で空を見上げると深い秋空が広がっていました。


相対性理論では時間空間は相対的なもので伸縮するものだという

所謂越三時如
來之日加持故。身語意平等句法門
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