福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中論第十一章

2013-11-11 | 諸経
輪廻には、始まりも無ければ、終わりも無い。
最初も無く、最後も無いのに、途中があろうか。
それゆえ、ここでは、前も後も同時も成立しない。

もし、生が前に存在し、死が後に存在すると、
死なるものが存在しない、生が存在してしまう。
即ち、それは、不死の者が生まれることに等しい。

もし、死が前に存在し、生が後に存在すると、
因なるものが存在しない、死が存在してしまう。
まだ、生じていないものに、死などあるだろうか。

生と死が、同時に有ることは、理に合わない。
生まれてくるものが、死んでしまうことになり、
生にしても、死にしても、原因が無いものになる。

以前、以後、同時という、決して起らないこと。
これらに関して、どうして、生死を想定するのか。

輪廻には、究極の始まり、というものはない。
さらに言えば、あらゆるものに、始まりはない。
原因と結果、認識と主体、あらゆるものについて。


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