福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「神祇秘抄」・・17/22

2024-03-17 | 諸経

「神祇秘抄」・・17/22

神祇秘抄下

十七、神道と密教一致の事

問、吾神等劫初の振舞と密教の事相と一致の義之在り云々。其の義如何。

答、爾也。即事而真の談を以て之を解すべし。之に依れば吾神,天上に坐し、先ず素戔嗚尊天下り給ひ諸の荒振神を退治して、正神を請ひ奉らんとし給ふ儀式、彼の密教の事相と全く同じ也。彼素戔嗚尊出雲の国に天下り給ふに、或谷に一大虵有り。八頭一尾也。彼の虵は今の鎮壇(密教の地鎮法)の義也。八頭は胎の八葉(胎蔵中台八葉院)、一尾は金一印会(金剛界一印会)也。日本紀に云ふ、八頭より吐息雲と為り云々(日本書紀 巻第一 神代上に「一書曰、本名天叢雲劒。蓋大蛇所居之上、常有雲氣、故以名歟」)是即ち八葉の蓋也。尾に一針有り。是又智剣也。又寶剣也。

 

重ねて問ふて云く、神の御鎮座即密教修行の鎮壇とは其の儀如何。

答、神鎮座の儀即密壇建立に全く同じ也。密教の習、地水火等の五大を以て如来の三摩智身と為す。所謂法界塔婆也。神の所居給ふ巌戸は阿字法然の理體(阿字は地大であり故に巌戸にあてられる。)、塔婆は本不生の如意珠、ばん字(梵字)の所作也(塔婆の裏には金大日を示すバン字を書く)。爰を以て神祇・秘密(密教)の不二を談ずる也。

問、今の義は阿鑁一體と云々。爾れば両部而二の面には種子各別なり。其の義如何。

答、阿字は地大、即巌戸也。鑁字は法性神の體也。彼の二字和合の位は萬法を出生す。暫く二字而二の前には神と巌戸と各別にして又鐵塔と如来と能・所也(鐵塔は無明で(作用を受ける側・所)之を開くのが如来で(能))。之に就き神の隠顕あり。塔の開閉有り。實義を談ぜば能所一所にして鐵塔即大日、大日則巌戸、巌戸即天照太神也。隠顕開閉を離れ常に無餘界を照らすの間、天照と云ひ大日と云ふ也。両部は暫く理智相待の義なるが故に、不二の位は即ち本来不生の大日也。此の一段は宗の大事也。

 

問、然らば鎮壇等乃至器界草木を指して能所一體の佛身と云ふ(器界観とは地水火風空の五輪世界. とその上の大海八功徳水・金亀・須弥山・七金山寺等を観じるもの)義如何。

答、是又事相の口決也。暫く護摩壇に付いて之を配釋すべし。先ず阿字方形は鎮壇也。中央壇爐は(息災)水大也。底に八輻輪有り。衆生の業障を摧破し、萬徳円満の形を顕す。水輪

中に煩悩の薪を投じ、智火を以て之を焼く故に、八分の肉團開きて八葉の蓮と成る。爐縁に蓮葉を畫くは此の意か。爐中の火は心王の智也。火煙は風輪、大日の命息也。諸煩悩焼盡すは空大也。此の五大を以て大日三摩耶智身と為す。又は本尊と為す也。一壇の五大(密教の五大、地水火風空)は鎮座(神の鎮座)においては五行神(木火土金水)なり、具には意得合すべし。凡そ神の五行、巌戸を開きて以来、天下の振る舞いは餘所(第十八に、伊勢神宮の内宮には五行に相当する五社、外宮には五大に相当する五社があるとする)に委しく之を載す。

次、密壇の四方撅、教意を以て之を案ずるに、降三世等四金剛、鎮座に於いては四神也。所謂、鹿嶋・熱田・住吉・諏訪と云々(後の十七条で、鹿嶋は降三世・熱田は軍荼利・住吉は大威徳・諏訪は金剛夜叉に配している)。四神四方に起立し、四夷の敵を防ぐ義なり。(護摩壇の)前の二本の鳥居は金剛力士の二天、即ち天手力雄・地手力雄の二神也(天手力雄は天岩戸から天照大神を引き出した神であるが、地手力雄は不明。対として出したと思われる)。社壇等同前也。二枝の散杖は(護摩壇には散杖が二本ある)天上二尊(天牟羅雲尊のこと、『先代旧事本紀』によると天牟羅雲尊は邇芸速日命の天降りに随伴した三十二人のうちの一人で、葦原中国は水がいまだ純ではなかった。そこで、天牟羅雲命が高天原へ上って伝えたところ、 天照大御神は天忍石長井之水を八杯玉鋺に入れ「この水をもって食国に降り、

八盛を皇大神の御饌料とし、八盛を皇孫の御飯の材とし、残りを天忍石水といって

食国の水の上に注入し混和して朝夕の御膳の料とせよ。また従って降りた神々にも飲ませよ」と云った。天牟羅雲命はこれを以って降り皇孫に奉告した。この時、皇孫は天牟羅雲命にどの道を上って行ったのかお聞きになり、天牟羅雲命は、大橋は皇孫の道なので、私は後の小橋を上りましたと答えた。そこで皇孫は天牟羅雲命に天二上命(あめのふたのぼりのみこと)と後小橋命との二つの別名を授けた)天上より持ち下り給ふ杖也。此の神、彼の杖を以て四至堺等を打ち、吾神降るを請じ降し奉る云々。是又善悪二而の結界邐浄なりと云々。今外宮の閞寺(今の世義寺)の前に之を安置せる所の不増不減の水(忍穂井。忍穂井おしほひ、とは、上御井神社のこと。この井戸を忍穂井と呼ぶのは、天上の御井を移したから。天孫降臨の際、天牟羅雲命によって高天原の天忍石の長井の水が高千穂の忍穂井にもたらされ、比治の真奈井を経て外宮の御井へと移されたと伝えられる)は此の神體也。故に彼の杖に擬して神の化用の徳水を受け、一切衆生の煩悩の體に灑ば速やかに業障消滅して悉地圓滿する也。又結界と云義は彼の神(天牟羅雲命)の持下る桑の杖也(密教の修法では最初に散杖で洒水をするがこの杖が天牟羅雲命の持下った杖であるとする)。之を以て荒振神を退く。此の杖を以て日本の四至至境を打つ云々。故に此の国を扶桑の國と云ふ(『梁書』 (636)巻五十四「扶桑は大漢国東二万余里に在り、地は中国の東にあり、その上扶桑の木多し))。此の木は又神體也。則ち馬鳴菩薩也(ここでいう馬鳴菩薩は中国産の菩薩で養蚕を司る神)。此の菩薩は悲願を発して羅睺(らごう)に變して衆生を覆ひ温す(典拠不詳)。是則ち傘蓋佛頂尊(胎蔵曼荼羅の白傘蓋佛頂のこと。神號靈気記に「衆生の命魂は赤傘蓋、衆生の命魄は白傘蓋」)云々。皆此の桑の功を以て哉。皆此の桑の功を以て哉。

 

次に素戔嗚尊、最初下天し給ひ、諸の荒振神を退け、正神を請じ奉るの儀式、乃至天巌戸開閉等の事、護摩一壇の作法を以て之を表す。故に素戔嗚尊は火大也。天児屋根尊は庭火(日本書紀に「又猨女君の遠祖天鈿女命、則ち手に茅纒之矟を持ち、於天石窟戸之前に立ち、巧に俳優を作したり。亦た天香山之眞坂樹を以て鬘と為し、蘿を以て手繦と為し、而して火處を燒き、覆槽を置き、神明之憑談顕す。此を歌牟鵝可梨かむがかりと云ふ」。)を焼き、神楽給ひて巌戸を開く義これ也。彼の護摩の部首段は煩悩を焼き、本覚を顕し奉るの表示也。故に天児屋根尊は即ち部主也。又天照神、巌戸を開き御出現は即ち本尊段にして行者不生本初の顕現也。庭火とは所謂大日の智火、無明を滅するの表示也。心王大日の出現の故に心數眷属は本佛に供し、三十七尊各々一徳の振る舞いを表すは諸尊段なる者哉。次で世天段とは諸尊段に同上。祖神いまだ出現せざるの時、諸神達は闇夜に迷ふ、此の時に於いて、巌戸の前に於いて諸神、舞乙(まひかなで)給ふ。此の位則ち世天也。出現以後の諸尊也、因果の差異哉。神供等の時、幣用ふる事、諸神闇夜に迷ひ給ふの時、ハマユフと云ふ白き草(浜木綿)を持ちて、シルシトシテ、之を以て神各々暫くカザシトシ、又シルシトセシ、今の幣なり。御注連は今五色絲也(天照大神を天巌戸より出し奉った後に張った注連縄を護摩壇に張り巡らす五色絲に見立てる)、如来慈悲の表義、善悪而二の結界也。(護摩の次第は、火天段→部主段→本尊段→諸尊段→世天段と進む。神代巻私見聞・良遍には「最初に散杖には經津主香取、武甕槌鹿嶋尊の太刀を抜いて逆様に立て其の上に立ち給へし姿なり。四撅は諏訪(北)・住吉(西)・熱田(東)・鹿嶋(南)・・火天段は素戔嗚尊に当たる、曜宿段は天児屋根尊、本段は巌戸開き、諸尊段は天五部の大神、世天段は八百万の神達也・・」とあり。)

六種の供具(閼伽・塗香・華鬘・焼香・飲食・燈明)は欲界六天(欲界に属する六欲天のこと。四王天・忉利天・夜摩天・兜率天・化楽天・他化自在天)供の義、又菩薩の六度(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜)を以て六道を憐憫する義也。大日如来の色法とは欲界の振る舞い也。自餘の支分(護摩供において其の他必要な、檀木・五穀等)表示に於いて一々に之在り。

次に乳木(護摩では百八本の乳木を焼く)は百八煩悩を焼き百八尊と成すの義、煩悩即菩提の故、即事而真に之を表す。芥子(護摩で用いる)は結界の義なり。

問、南天の鐵塔を開くに芥子を以て之を加持する云々。是何の義ぞや。(金剛頂經大瑜伽祕密心地法門義訣卷上「其大經本。阿闍梨云經夾廣長如床。厚四五尺有無量頌。在南天竺界鐵塔之中佛滅度後數百年間無人能開此塔。以鐵扉鐵鎖而封閉之。其中天竺國佛法漸衰。時有大徳先誦持大毘盧遮那眞言。得毘盧遮那佛而現其身及現多身。於虚空中説此法門及文字章句。次第令寫訖即滅。即今毘盧遮那念誦法要一卷。是時此大徳持誦成就願開此塔。於七日中遶塔念誦。以白芥子七粒打此塔門乃開」。)

答、芥子を用ゆる事は一念の生起を表す。所以は何ん。此れ最初の一念は方圓等形に非ず。青黄等の色に非ず。本来無體の上に最少の種子之在り。又無體無量也。彼の芥子も又諸種子中に最少にして數多し。故に擬して之を用ふ。然而して最少にして廣大無邊際の故に須弥に芥子が入り、芥子に須弥が入る云々(摩訶止觀卷第五「不可思議無相而相觀智宛然。他解須彌容芥芥容須彌。」)。此の一念の心、般若智の母にして互融自在の義也。煩悩を摧き善法を生ず。又降魔結界の義、尤も勝たる哉。股小𣏐は大日如来三摩耶形、輪圓具足なるが故に、内に八輻輪形有り。大𣏐は金剛薩埵、内に五古(或いは三古)形、三度の酌は貪等三毒を焼く義也。一壇の建立の義相は皆國土の五大を顕す。又五色は、大日如来命息と衆生の五智とを連持し、一體不二となり界道を結界すと云々。則ち天児屋根命、大中臣祓に云く、ヨロズヨノ、罪ハラヒウシナヒヌト云ふは(https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwisw4GEq-iDAxWFklYBHV3BBQUQFnoECAYQAQ&url=https%3A%2F%2Fwww.ko-kon.net%2Fnorito%2Fooharai1_2_r.html&usg=AOvVaw024hXF4PChI5Gnh9lIAl9p&opi=89978449

五色界道結界の義なり。是又阿鑁吽等の秘呪也(不詳)。無明の岩戸を開き、神出現し給ひて、其の後彼の岩戸の前に切注連縄を引きて、神再び籠り給ふべからずと結界す。今の五色也。軌に云、智火を以て煩悩の薪を焼く云々(大毘盧遮那成佛經疏卷第一入眞言門住心品第一「如來智火亦復如是。燒一切戲論煩惱薪盡。」)。内外護摩の事、能々修習すべし。若し覚知せずして此の行を修する者は、徒らに供具を費し、外道の火法に同じなる哉。能々慎むべし云々。鈴は鈴(れい)也。或口伝に云ふ、男はさげて左を以て之を振るは従果向因也(鈴れい)。又下化衆生の義なり、女はあげて右を以て之を振るは従因向果也(鈴すず)。又上求菩提の義也。五十鈴川に五十鈴あるは、此れ鈴は五智の徳を含むことを表す。五十鈴とは各の五智の義を具する也。此の如く神道密教一致の故に、鎮座の所に於いて五壇法を修し、五行の神に供し、五智の徳を顕す。速疾悉地之に在り。此の義に通ずと心得べし云々。

 

問、上に云所の四神の由来如何。

答、鹿嶋は降三世、熱田は軍荼利、住吉は大威徳、諏訪は金剛夜叉。今の義本迹を論ぜず。唯一致の稱也。

一、諏訪は南宮大明神と號す。南宮とは南州也。此の神は法性の一理より示現し給ふ也(古来、諏訪明神を「諏訪法性」と呼んだ)。南閻浮提の地主神と云ふ。法性神とは三世諸仏の法性の體也。然而て利益衆生の為に、天照太神の荒御前と為り、國土守護の神也。故に西宮に坐しては濱南宮と號し(摂津広田神社の南宮のこと)、伊賀國に到ては伊賀南宮と號し(伊賀敢國神社のこと)、美濃の国に於いては垂井南宮と名く(美濃の南宮神社)。」是在所に随って御異名なりと云々(各地の南宮の本宮を諏訪とすることは、「諏方上社物忌令之事」に「南方波斯国に御幸に成り、悪龍を降伏、万民を救い治めて、彼国で諏方皇帝と申せり。 東方金色山に到り、善苗を植て仏道を成し給ふ。 其後我朝に移り給いて、接州蒼海に顕し、三韓西戎之逆浪に垂跡、諏ては西宮に顕す、又は豊前高山の麓に和光、百王の南面を護り、宝祚を誓給いしを南宮と申也。 終には勝地信濃国諏方郡に垂跡、彼所に金剛碧瑠璃之地を移し給ひ・・・」)。今の諏訪と號すは郡の名なり。俊仁将軍(藤原俊仁(ふじわらのとしひと)とは、御伽草子に登場する伝説上の人物のこと。将軍の父と大蛇の化身の母を持ち、近江国の大蛇や陸奥国の悪路王を退治したとされている。また、俊仁が陸奥国で賤女と一夜の契りを交わしたことで坂上田村丸が生まれたとされる。)彼の大明神と契諾し奉り悪事高丸を対治し帰洛の時、諏訪郡に留り給ひて北海に近きの故に北狄を守らんと誓ひ給ふ。既に南州惣地主にて御坐せば、一方の守護に限るべからずと雖も先ず一往の誓約也。

 

問、或人云、諏訪明神は太神宮の草狩の神云々。然間、鎌を以て神と為す事如何。

答、鎌は神體也。此、重々習あり。いまの義一応の料簡か。此の鎌は即ち釣召の義、一切有情を招き法性に入らしむと誓給ひし所の釣形也。之に依りて江海の鱗、山野の獣、賃(贄か)と名けて之を膳へ奉る。之に加へて或經に云く、業深有情、雖放不生、故宿人中、同證仏界(有名な諏訪の勘文に「業尽の有情は放つと雖も生きず、故に人身に宿りて、同じく佛果を證せよ」 前世の因縁で宿業の尽きた生物は 放ってやっても長くは生きられない定めにある したがって人間の身に入って死んでこそ 人と同化して成仏することができる。)。深重の悲願疑ひ無き哉。是草刈の鎌ならざる事分明也。(諏訪地方には古くから、暴風を凪ぎる(鎮める)ために鎌を竿の先に結びつけて風の方向に立てる習慣があるが、このために使われる鉄製の薙鎌(なぎかま)は諏訪明神の御神体ないし御神幣とみなされる場合もある。薙鎌は蛇(龍)または鳥にも見える形をしているが、これは五行思想では金気(鳥=酉は金気)が木気(風)に勝つもの(金剋木)と考えられていたからである)

 

問、此の社に於いては祝を以て神體と為す云々(『諏方大明神画詞』「祝(はふり)は神明の垂跡の初め、御衣を八歳の童男に脱ぎ着せ給ひて、大祝と称し、「我に於いて体なし、祝を以て体とす」と神勅ありけり。 これ則ち御衣祝(みそぎはふり)有員(ありかず)、神氏の始祖なり。家督相次ぎて今にその職を忝くす。」ここでは「有員」という人が初代大祝とされていることがわかる。)其の義如何。

答、爾也。法性神は無體無色也、而して法楽に依りて又利益無盡なり。我を崇むる者は祝を崇めよと宣給ふは、衆生は本覚の一理より出て、無盡變化して還りて衆生を貴むるべきの義也。諏訪秘記委しくは之に在り云々。

一、住吉の事、彼の神は八葉蓮華の體、本有所縁の義、法花を以て其の體を示すと云々。之に依りて葛木山を以て彼の神と同體と習ふ(葛木山は法華の峰とされ法華経二十八品になぞらえて二十八宿が作られた)。本来不生の山、海底の印文也(古今抄延五記「敷島ト云ルハ、盛土大海ニテ有シ時、大日ノ印文アリ。其上二建立シタル国ナレバナリ」。「油日大明神縁起」「已に又吾国大海の底に、大日如来の印文在り、是れ仏法東漸の瑞相新也、 之に依て天照両大神宮御本地を伺ひ奉る、忝も胎金両部の大日の変作として、専ら此の国の主にして御座、」)。天照太神一の荒御前の西戎を守り、四神の中に於いて風大を宰る神也。内證を云はば則ち無量壽教令輪、大威徳是也(無量壽佛の教令輪身は大威徳明王)。三業の中には語業を以て配し、歌道の祖神と為す。和国志磯嶋の道を守る。口業息風は則ち自然本有の覚に縁る故、委しくは彼の記に有り。之を見るべし。(古来住吉神社は歌道の神とされてきた。謡曲、高砂でも住吉の松を「松とは尽きぬ言の葉の榮は古今相同じ」と詠み、住吉では歌道伝授等が行われてきた)。

一、熱田の事。

彼神は寶剣を以て體と為す云々(日本書紀に「日本武尊、更(また)、尾張(をはり)に還りまして、即ち尾張氏(をはりのうぢ)の女(むすめ)宮簀媛(みやすひめ)を娶(と)りて、淹(ひさ)しく留(とどま)りて月を踰(へ)ぬ。是に、近江(あふみ)の五十葺山(いぶきやま)に荒ぶる神有ることを聞きたまひて、即ち剣(つるぎ)を解(ぬ)きて宮簀媛が家(いへ)に置きて、徒(たむなで)に行(い)でます。」。尾張國熱田太神宮縁起に「熱田太神は神剣を以て主と為す」)。大和蔬尊(ヤマトタケル)東夷誅伐の為、進發し給ひ先ず先に太神宮に詣で、御拝領の寶剣是也。仍りて故なく対治し給ひ御帰洛し尾張國に到る。宮を造り安置し御て、南蛮守り給へとて祝置き奉るの神也。此の神體の寶剣を八剣明神と號するは(神道集「熱田大明神は熱田八剣御在也」)上に載せる所の出雲國八頭大蛇尾中の剣也。スサノヲノ尊之を取りて寶剣と為す、故に八剣と號す云々。四金剛中軍荼利也(四金剛は金剛手・金剛宝・金剛利・金剛薬叉。降三世を金剛手、軍荼利を金剛宝、大威徳を金剛利、金剛夜叉を金剛薬叉に配する)。

 

  • 鹿嶋大明神は劫初来臨の神也(「日本書紀第九段第一の一書は「(瓊瓊杵尊に先立ちて)復武甕槌神及び経津主神を遣して,先ず行きて駈除(はら)はしむ」」とあり)。故に一説に云く、彼の處日本最初の嶋と號す(不詳)。下天の御姿は鐵の鹿體にて御す(受十善戒經「第五盜報。生鐵鹿地獄受鐵鹿形。有百千頭有百千手。百千尾百十蹄甲百千重皮五百億鐵虎。百千億鐵師子剥取其皮。一一皮間生無量鐵刺。猶如刀劍削骨徹髓苦痛無量百千萬歳受苦無極。是名第五偸盜果報」)。鐵は無明の性、鹿は畜類の中愚癡なるものなり。極無明を表する故、法性神荒御前と號す。鐵塔未だ開かざるの時分、最初の一念此れ神體なるが故に荒御前と云ふ。内証に於いて之を論ずるに荒神也。所謂降三世一體の稱、東夷を防ぎ給ふの神也。委しくは春日別記に之在り(未詳)。香取平岡等一體異名也云々(香取神宮の主祭神は鹿島神宮の武甕槌神と共に国譲をなしとげられた経津主神。平岡は枚岡神社のこと、枚岡神社の主祭神は天児屋根尊であるが鹿嶋・香取・枚岡が共に藤原氏の氏寺春日大社に祭られていることからこう記述されている)。

 

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