釈雲照『日本国民教育の本義』(釈雲照・・真言僧。山岡鉄舟・伊藤博文・山県有朋・大隈重信、沢柳政太郎等、明治の元勲や学者、財界人が帰依。後七日御修法を復活させる。)
これは明治の傑僧、釈雲照師の叫びです。「神儒仏」一体の国民性を取り戻さなければ日本國は滅ぶという警鐘です。
我が皇国は天祖天照大神の神勅に依りて建てられたる国である。
しかるに明治維新以後、泰西の政治・宗教・文学・美術・科学・工芸・言語・風俗等雑然として渡来し、加えるに外尊内卑の風潮日を追って甚だしく思想の混沌の境に陥る。今日にして是を救うにあらざれば国運危殆に赴かんと、実に測るべからざるものあり。
この危機に際していかにすべきか、従来の如く盲目的に外国の文物を模倣する迷妄を打破し、まず確固たる国民的自覚の上に立ち、以て外来文物の精神を同化すべきなり。しからばその国民的自覚とはなんぞや。・・他なし神儒佛なり。
我が皇道の起源は唯一の神道なりしこと信じて疑わず、然れども支那の文物三韓の地を経て輸入せらるるにおよび儒教また我が国に同化せられ能く君臣の分を明らかにし、上下の礼を弁じ、その後更に仏教渡来し、聖徳太子、勝鬘經、維摩経、法華経を講じられ、疏を製し、更に太子は先代旧事本紀等数百巻を製し、また勅を奉じて憲法を製し、神儒仏を混成して唯一の皇道を翼賛したまえり。天壌無窮の国体は実に太子によりて固められたり。一七条憲法の「二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之禁宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能従之。其不歸三寶、何以直枉。」
応神天皇の勅に「得道以来、八正道を示して苦の衆生を救う」(「八幡愚童訓巻下仏法事」に「得道より来、法性を動かさず。八正道を示し、権迹を垂る。皆苦の衆生を解脱するを得、故に八幡大菩薩と号く)」)と宣らせたまえるは仏教真如無我の真理によらざれば何を以てか我が神道正直の道を翼ることを得ん、との聖意に他ならず。是より以降世々の聖帝は三宝を尊崇して国家道徳の基本を扶植し、、実に四海一家の美風を為したまえり。
加えるに弘法大師、いろは歌を制作し以て国字を定め、以て仏教四諦無我の真理を薫染し、解脱因縁を結ばしめしより以来、普天の下、卒土の賓、遍くその恩徳を被り、降って武家時代に至りては、皇道と仏教との結晶発して武士道と称する花となり、我が国民精神に更に新勢力を加えるにいたりたり。
以上の如く論じきたれば、我が皇道とは神儒仏三道の融合し結晶して成りしもの。神道のみをもって皇道と称するは身体のみを知って精神の存在をしらざるの見解なり。・・
皇国固有の神道と仏道とは微妙不可思議の融合を為し、以て一種特別渾然たる大精神の成立せるこれ実に我が皇國の皇道ならずや。
一心真如界のなかには神仏の二名なきのみならず、実相般若皆空無所得の真理を聞くときは天魔、邪神もまた正神に帰し、悪人匪徒も悉く正道に感化す。是、大宝、延喜等の世々の聖帝が維摩、法華、最勝等の諸経を転読して神法楽に供え、以て勅会の大祭となしたまいし所以なり。(続日本紀・文武二年(698)十二月乙卯(廿九)遷多気大神宮于度会郡。大宝二年(702)二月丁巳(二十)》丁巳。任諸国国師(経典の講説を勤める僧職。
日本文徳実録・嘉祥三年五月九日「是の日、制有り。諸名神の為に七十人得度せしむ。各々名神の為に発願し誓念せよ。其の得度者は皆神の字を以て名首とせよ」。)
しかるに江戸時代一類の士族は宋儒の学に拠りて排佛説を鼓吹し、ついに維新の排佛となり、仏教忽ち衰退して国民の道義心殆ど地を払うに至りたり。況や盲目的に外国の文化を輸入し模倣して毫も省みることなき現今の国民は如何にしてか確固たる国体の柱石たりうべきや・・。それ国家の前途を如何せん。これを救う唯一のみちあり。列聖の遺訓を奉じ皇道の大儀を明らかにせんのみ。皇道の大義とは実に神儒仏三道の融会なり。
高祖高宗の遺訓を宣べたまふもの、またこれに他ならず。而して歴朝の聖帝、および文武両道の英傑の士が神明仏陀を尊信して人格信念を養成したる精神を教育の精神とし、之に加ふるに泰西諸種の文華をもって子孫を教育するを得ば、庶幾は、国民の信念、古に復し、道義の根底不抜なるを得ん。故に余はここに前言を反復す。道義日に退廃し、人心月に迷乱する我が国現今の悲境を救ふは他なし、実に皇道の大義を明らかにし、教育の方針を定め、学校を開設し、該教育をもって児童の脳裏に注入するより好きはなし。
聖徳太子の憲法本紀に曰く、
『政を正すは学問にあり。学問の本は儒釈神也。此れ是の三法は天極の自存にして人造の私則にあらず。皇道をみちびき、国家を治め、人情を正し、黎民を善するなり。しかりといえども其のはじめの一に通ずるも、不知により他を排し、互いに誹謗し交々嫉妬す、學んでかえって妄となる。是聖を破るの大罪なり。学ぶことなくして遊玩せんにしかず。遊玩は尤無し。學をなすは邪を発す、理を破て暗者となる、正を破して乱者となる、政を破して叛者となる、悲しむべからざるや。』
この聖言じつに遠く今日の情熱を観見し予言したまふもののごとし。豈これらの遺訓を等閑視し、列聖の遺訓を外にして他に教育の道を求むべきものならんや。余やすでに老いたり,余歳いくばくもなし。しかもなお渾身の志気を捧げてこの急務を議す。伏して乞う、満天下の有識有為の諸賢、これ余が私見にあらず。実に
皇道皇宗の遺訓、聖旨の潜むところなるを了知し、速やかに余が本願をして透達せしめ給はんことを。(日本国民教育の本義略説、終わり)