第二に高祖下生の故にとは、高祖弘法大師已に彼の天に生じたまふ。象の子は大象の去来に随ふ。末資となって蓋んぞ彼の生を期せざらんや。遺告に云ふ、祖師の吾顔を見ざるべしと。「心あらんものは必ず吾名号を聞きて恩徳の由を知るべし、吾白屍の上に更に人の労を欲するに非ず。密教の寿命を護り継ぎ龍華の三庭を開かしむべきの謀也。吾閉眼の後いは必ず方に兜率陀天に往生して弥勒慈尊の御前に侍るべし。五十六億余の後は必ず慈尊と御共に下生し、伺候し吾先跡を問ふべし。亦且未だ下らざるの間にも微雲管より見て、信否を察すべし。是の時に勤ある者は祐を得、不信の者は不幸ならん。努力努力後のために䟽にすること勿れ」。夫れ真言教とは法身如来の自受法楽の秘談なるが故に、虚空を以て道場と為し、法界の語表を以て之を宣説したまふ。一処も其の道場に非ざること無く、一塵も其の法身にあらざる無し。しかれども示す者なければ身中なれども知らず、説く者なければ眼前なれども見ず。是を以て法界海会の普賢金剛手菩薩加持力を以て身語意無尽荘厳蔵を示現したまひ、各々無量の當機衆を引いて同じく法界曼荼羅に入らしむ。無畏不空震旦に来りて三密の灯を伝へ、弘法慈覚日域に出て五瓶の水を灌ぐ。皆是法界荘厳蔵の奮迅示現也。天満天神日蔵上人に告げて言く、普賢金剛薩埵この国に出で密蔵を弘む。吾彼の宗を祟むが故に巨害を為さずして云々(『扶桑略記』「道賢上人冥途記」)。明らかに知る、華台に果を満し、
芦原に化を施すは十佛刹微塵の大衆各々加持三昧に住し無量の當機衆を引きひて虚空法界に周遍す、と。我等機縁なければ空しく見聞を隔つ。今適ま生を日域に受け弘法大師の門葉に列なれり。宿因微薄にして世に値ひたてまつらずといえども伝来の印言を誦結し、無始の罪障の垢を滅し、述作の典籍を披覧し、即心是佛の旨を聞く。過去の因縁厚からざる者はなんぞこの法化に預からんや。今一部の化導に預かる者は當に知るべし、當機衆なり。遺告の文のごときは先ず祖師の恩徳の深厚を示し、次に兜率上生の旨を告ぐ。報恩の志を勧るは教法を弥勒の三会に至らしむべき謀なり。上生の由を告げる者は、遺弟を弥勒の寶宮に引接せしむべき謀なり。人法ともに弥勒に帰せしむ是則ち大師當機衆を引く三昧地なり。其の法化に預からんものは此の経路を閣あしおいて、又何をか求めん。
問、大師、我上生を示すと雖も而も遺弟の上生を勧めざるは如何。
答、大師は大権の薩埵なり。身心法界に遍して至らざる所なし。而るに今、仮に一処を選して當来の生処を示す。是只機を引んが為なり。大聖の方便徒に設けたまはず。若し化を引接するためならざらんは、無用と謂うふべきか。何が故に大師閉眼の後に弥勒慈尊の御前に生じて五十六億余の後に共に下生し伺候し給ふや。慈尊は當来の導師なるが故に、下生の時に至って親近奉仕したてまつる。大悲の化を扶て共に閻浮の衆生を度せんが為也。我ら何ぞ又祖師に親近奉仕せざらん。今遺告の文に先に師恩の深厚を示し、次に我兜率に生じて師長に親近し奉仕して明らかに知る、遺弟を兜率の内院に引接せしめんと欲する也。大師云く、色を孕む者は空なり、空を呑むものは佛なり(性霊集・藤左近先妣)。佛の三密は何れの処にか遍せざらん(性霊集・理釈経答書)。佛の慈悲は天を覆ひ地を載す。(性霊集・藤左近先妣)悲は則ち苦を抜き慈はよく楽を與ふ(性霊集第六・天長皇帝雩)。所謂大師豈異人ならんや、阿里也摩訶昧怛羅冒地薩埵即ち是なり(性霊集八巻、藤左近先妣)。法界宮に住して大日の徳を輔け、都史殿に居して能寂の風を扇ぐ尊位は昔満権震宮に冊せらる。元元を子として途炭を抜済す。無為の主宰誰か敢て名けて言んと(続性霊集八巻、藤左近将監、先妣の為に三七の斎を設くる願文)。弥勒の三昧地を以て當機衆を引くは此の深意あるが故か。遥かに兜率の雲上より遺弟の信否を察すべし云々。和漢両朝の顕密の祖師、未だ此の如きの誓願あるを聞かず。雲管の照見誤らず。何ぞ上生の懇願を哀愍したまはざらん。弥勒は釈尊の付属を得て引接を垂れ、高祖は遺弟の因縁に依りて護念を加ふ。彼と云い是と云い、縁力軽からず。我等何ぞ上生を遂げざらんや。