衣姿の有難さ
一昨日新幹線に乗っていると新神戸から祥福僧堂の頭陀袋を掛け下駄をはき絽の法衣をきた若い禅僧が乗ってこられました。自分も含めてシャツにズボン姿の群衆のなかで一際目を引き一服の清涼剤となりました。周囲の世俗の服が恥ずかしくなります。そういえば自分も遍路姿の時は都内でも電車・駅・道でいろいろな人に声を掛けられました。「自分も四国の生まれなのでなつかしい」とか、「年末にもかかわららず遍路に出かける姿をみて自分が恥ずかしくなった」とか、小学生の子供からは「旅の方がんばってください」とか声を掛けられたことを思い出します。
姿形は大事です。自分自身も衣姿とか遍路姿の時は姿に恥じない振る舞いをしようとして緊張します。しかし俗体の時は緊張感は弛緩してしまいます。これは争えません。偽物の証拠です。「心は形を求め、形は心をすすめる」とか「心より出でて形に入り、形より出でて心に入る(世阿弥「花伝書」」という言葉はよくこの間の消息を表しています。
特に衣は着けているもの以外にそれを見る者にも何とも言えない特別の感懐を抱かせます。大乘本生心地觀經には法衣に十の功徳ありとして「一は、能く其の身を覆ひて羞恥を遠離し、慚愧を具足して善法を修行す。二は、寒熱及び蚊虻・惡獸・毒蟲を遠離して安隱に修道す。三は、沙門出家の相貌を示現し、見者は歡喜して邪心を遠離す。四は、袈裟は即是人天寶幢之相なり、尊重敬禮すれば梵天に生ずることを得る。五は、著袈裟時には寶塔の想を生じ、能く衆罪を滅し諸の福徳を生ず。六は本と袈裟を制するは染めて壞色ならしめば、よく五欲の想を離れ貪愛を生ぜず。七は、袈裟は是れ佛の淨衣なり。永く煩惱を断じて良田を作るが故に。八は、身に袈裟を着せば罪業消除して十善業道念念に増長す。九は、袈裟は猶ほ良田の如し。能く善く菩薩道を増長するが故に。十は、袈裟は猶ほ甲冑の如し。煩惱の毒箭も害すること能わざるが故に。」とあります。道元禅師は正法眼蔵・袈裟功徳のなかでここも含めて引用され長々切々と袈裟の功徳を説いておられます。
一昨日新幹線に乗っていると新神戸から祥福僧堂の頭陀袋を掛け下駄をはき絽の法衣をきた若い禅僧が乗ってこられました。自分も含めてシャツにズボン姿の群衆のなかで一際目を引き一服の清涼剤となりました。周囲の世俗の服が恥ずかしくなります。そういえば自分も遍路姿の時は都内でも電車・駅・道でいろいろな人に声を掛けられました。「自分も四国の生まれなのでなつかしい」とか、「年末にもかかわららず遍路に出かける姿をみて自分が恥ずかしくなった」とか、小学生の子供からは「旅の方がんばってください」とか声を掛けられたことを思い出します。
姿形は大事です。自分自身も衣姿とか遍路姿の時は姿に恥じない振る舞いをしようとして緊張します。しかし俗体の時は緊張感は弛緩してしまいます。これは争えません。偽物の証拠です。「心は形を求め、形は心をすすめる」とか「心より出でて形に入り、形より出でて心に入る(世阿弥「花伝書」」という言葉はよくこの間の消息を表しています。
特に衣は着けているもの以外にそれを見る者にも何とも言えない特別の感懐を抱かせます。大乘本生心地觀經には法衣に十の功徳ありとして「一は、能く其の身を覆ひて羞恥を遠離し、慚愧を具足して善法を修行す。二は、寒熱及び蚊虻・惡獸・毒蟲を遠離して安隱に修道す。三は、沙門出家の相貌を示現し、見者は歡喜して邪心を遠離す。四は、袈裟は即是人天寶幢之相なり、尊重敬禮すれば梵天に生ずることを得る。五は、著袈裟時には寶塔の想を生じ、能く衆罪を滅し諸の福徳を生ず。六は本と袈裟を制するは染めて壞色ならしめば、よく五欲の想を離れ貪愛を生ぜず。七は、袈裟は是れ佛の淨衣なり。永く煩惱を断じて良田を作るが故に。八は、身に袈裟を着せば罪業消除して十善業道念念に増長す。九は、袈裟は猶ほ良田の如し。能く善く菩薩道を増長するが故に。十は、袈裟は猶ほ甲冑の如し。煩惱の毒箭も害すること能わざるが故に。」とあります。道元禅師は正法眼蔵・袈裟功徳のなかでここも含めて引用され長々切々と袈裟の功徳を説いておられます。