福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お大師様の恩徳は、身を粉にしても報ずべし

2019-07-21 | 法話
今日はお大師様の日です。今朝はなぜか早く目が覚めて御大師様の恩のありがたさをしみじみと感じました。70年の人生を振り返ると常に伸るか反るか、という剣が峰を渡ってきたことに気が付きますが、其の剣が峰を毎回守っていただき無事今日まで来ることができたのはまさにお大師様のお陰だったのです。高校時代交通事故で空中に放り投げられても無事だったこと、塾も本屋もない過疎地から最難関大学に入学できたこと、苛烈な学園紛争や無頼の学生生活を経て無事大学を卒業できたこと、社会人としても困難を乗り切りそれなりの功績をあげ頂点といわれるところまで勤め上げることができたこと、壮絶な継母の仕打ちを乗り切りいい家族を持つことができたこと、その後継母も一転して好好婆になり穏やかな老後をおくっていること、第二の人生でも六回の徒歩遍路や求聞持行の成満、各種秘伝の受伝等,
受けているお蔭は無数です。自分はまさにお陰の塊です。
親鸞聖人の「恩徳讃」に
「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし。」とありますが私の場合は「お大師様の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし。」ということです。
大問題はどのようにしてこの御恩に報いることができるかです。
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