福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「庚申の縁起」

2021-01-12 | 法話

「庚申の縁起」(「四天王寺系縁起」と呼ばれるもので秋田市の素封家に伝わっていたもの。

庚申の本地・作法・功徳を述べる。)

 

「其時大宝元年庚申の正月七日かうしん(庚申)の日申の時に摂洲天王寺民部僧都と申坊主の処へ、年のよわひ(齢)十七八斗りの童子来て僧都に申様は、「我は是たえしやく(帝釈)天より御使に下り候、日本国に寺おふ(多)しといへとも当寺は仏法さひしよ(最初)の寺なり、かの寺の諸の仏僧あり、中に僧都はことにすぐれ第一の心にて渡り候間、此事を日本の衆生に能々ひろめたまへ。夫れ庚申と申は年中に六度也。能々かうしん待人は三世の徳ありと云々。南方に棚をゆひ、水をあび、身を清め、新しき衣類をきて、申の時より可奉待者也。たひしゃくのしめしには「庚申待人」の名を印て、三重七宝のとうに納めおかるる也、高さ一ゆしゅん(由旬)と云々。一重にはくわご(過去)のとか(科)を減し、二重にはけんたう(現当)の願ひをみち、三重には後生にて仏くわ(仏果)を得て、此とうに居ちう(居住)する也。人間はくわご(過去)のとか(科)ふぎ(不義)によって今生にてもふ念(妄念)あり。いかな国王大じん(臣)、大名かうけ(高家)、貴賎上下、そうそく(僧俗)男女、しよさけれるなおもひ願い有りて、くちなうかるるゆ」へにならく(奈落)にしつむ(沈む)なり。たひし」やくてん(帝釈天)は庚申を待人の名を印、えんま(閣魔)王につけて

(告げて)いわく、とうりてしやうのしやうしゆ也。けんとう後世のしよくわん(諸願)かなえんとちかひた」もふ也。えんま(閤魔)王是を間きたまひてたつときかなよきかなと三度らひはひ(礼拝)したもふ也・かかるゆへにかうしんを待時は、南方に向てかかげいて、明るみのおんじき(飲食)へわし(和紙)等をそなひ可申也。夜半にまるき(丸き)物をそなひ、暁にはせき飯(赤飯)をそなひ飯物酒などをそなひ可奉者也。かうしんの夜は、男女のかうごう(構合)もなくけんとう(現当)のしよくわん(諸願)をかなひたまへときねんずへし。よくよく惣心をおこす事なかれ。ぼさつ(菩薩)となりたまふへき也・かうしん

待人は六地獄のくるしみをのかるる(逃るる)也。はしめには(初めには)して(死出)の山、二つに三途の川、三つにはむけん(無限)地獄、四つにはがきとう(餓鬼道)、五つには畜生道、六つにはしゅらとう〈修羅道)のく(苦)をのかれ、仏くわ(仏果)にいたる事うたかひ(疑い)なしと云々。

さる酉の時はあひせん(愛染)、いぬい(戊亥)の時はまりしてん(摩利支天)、子丑の時はやくし〈薬師)、とらう(寅卯)の時はたひしゃくの天(帝釈の天)よりくたり(下り)たまいて此人の名をしるしたもふ也、又いわく、夜半にはしゃか(釈迦)如

来、青面金剛念ずべし。暁には阿みだ(弥陀)」如来、六くわんおん(観音)可奉念。是みな三界衆生をとりわけあわれみたもふ本尊也。南方にむかひて三十三度礼拝可致、一切経七千余くわん(巻)のかうしんきゃう、かやうにときたもふ也。きせん(貴賎)上下そうそく(僧俗)男女きらいなく此法を能々奉待者は、一門けんそく(眷属)家内あんのん(安穏)、子孫繁昌即」災ゑん(延)命、福寿ゑんまん(円満)うたがひなしと云々。ことに田畑能也しつならさるこなし歌に

「しやらきらひれやさられやわがとこに ねたれそれんそ ねんそねたれそ 庚申(かのえさる)おおさるこさる中のさる おとのさるにはまさるさるかな」

此歌を三べんとなひて我かは(歯)をつきつぎと三度くひ合すれは、きぢんはなそれをなしてへりふり。しやうじん(精進)は、前日より四足二足、五ぢん(五辛)をくらわず。かうしんの夜は少もいねるへからす。たとひちうふく(調伏)なくとも一度待ても申よりおなしくは三年の間一度もけたひ(僻怠)なくまつへし。三年の間に十八度待申せは、今生の諸願は立所に叶ひ、後生は十八地獄のくるしみをのかれ申すなり。かうしん待人はいかなそれぞれにしたかひ、米銭おしまづ、夜に三度のく物(供物)をそなひれは、是則くわけんとふ三世のきゃくしゅ(逆修)と也。来世はぞうばひ(層倍)にて請故也。

八専日(八専とは、日の干支が壬子から癸亥までの十二日間に、十干と十二支が同じ五行になる日が八日ありこれを八専と呼ぶ。)

諸行無常是生滅法

生滅々己寂滅為楽

しんじん(信心)けんこ(堅固)にして百へん(遍)も千へんもとなひ可奉。すなわち三病をのがれる也。三病とはらひ(瀬)病、くち病、うへ病をのかるなり。其外火難、とうそく(盗賊)、かうてき、しゆそ、てうぶく、あひもろもろの病難をのかれ

る也・此むれよくよく国々へひろめ給へ。てんじく(天竺)唐にても此法をもつはらに(専らに)しんかう(信仰)する也。されとも童子帰りたまひて、うし寅にあたって天より声有て、今のおしい(教え)を聞くや否やと、さもおそろしくきこゆ也。それより民部そうづ(僧都)諸国へひろめたもふ也。年中に六度八専有、此間ほんてんにて大ほうし有る也。八専に入日かうしんあれは、此日とうりてんにて御せつほう(説法)ある故え、下かひの大小 のじんき三宝の諸天、此法事をちやううもんしたもの故に、天暦正外道は道にあってつかひを侍、諸あくねんを以もふれんをきやさる也。上下万民ともにくもづ(供物)をそなへ可奉待者也。

庚申の夜は食物をおしめ(惜しめ)はひん(貧)になり。あるひは火難にあふことあり。少しもねることなかれ。三年の間くもつ(供物)くやう(供養)もろもろのせんこん(善根)にもすくれたるもの也。随てしんじん(信心)しやうしやう(上々)にして奉待は一 切諸願成就、皆りやう満足(皆令満足)うたかひなし。能々しんぢんを致可奉待者也。 敬白。

後の世をきけはとうきに にたれとも しらすやその日も けふになりけり」

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